改訂新版 世界大百科事典 「一忠」の意味・わかりやすい解説
一忠 (いっちゅう)
南北朝時代の田楽(でんがく)本座の能役者。生没年不詳。経歴の詳細は不明ながら,世阿弥の著書によると,大和猿楽の観阿弥や近江猿楽の犬王(いぬおう)が模範と仰いだほどの達人で,鬼など各種の物まね能をこなし,また優美な芸をも兼備したという。1349年(正平4・貞和5)の京都四条河原での本座・新座合同の勧進田楽は,足利尊氏らの貴人も見物している最中に桟敷が崩れて死傷者が出たことで名高い(《太平記》等)が,その催しの最初に演じられた《恋の立合》の主役の舞い手が一忠だった(《申楽談儀》)。南北朝期の芸能界は田楽能が主流であったが,その代表的役者が一忠で,能の芸術的成長にも大きく寄与したらしく,世阿弥は《申楽談儀》で〈当道の先祖四人〉の筆頭に一忠の名をあげている。ただし世阿弥は一忠の芸を見ておらず,1370年ころには故人だったらしい。
執筆者:表 章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報