武雄神社(読み)たけおじんじや

日本歴史地名大系 「武雄神社」の解説

武雄神社
たけおじんじや

[現在地名]武雄市武雄町武雄

武雄市の中央部御船みふね山東麓の台地上にある。旧郷社。

江戸中期の神主伴信門編纂の「武雄社本紀」(武雄神社蔵)によれば、もと御船山のともの岳にあったが、天平七年(七三五)始祖の伴行頼が神託により、主神として武内宿禰、副神に仲哀・応神両天皇、神功皇后、武雄心命(武内宿禰の父とされる)合祀(以上現祭神)して御船山北麓に移したとあるが、創祀の際の事情は記されておらず、艫岳のお宮は上宮とし、上筒男、中筒男、底筒男の住ノ江三神を祀ったとみえている。始祖行頼から三五〇年間は神官系譜を欠き、一代を一一世紀末の伴行貞とする。その後さらに東麓の現在地に移転したのは塚崎つかざき庄の地頭後藤資茂が御船山の北面に塚崎城を築城するためと伝える。

武雄神社文書(国指定重要文化財)中に天暦五年(九五一)二月一一日付の四至実検状が現存し、県内最古の文書とされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「武雄神社」の意味・わかりやすい解説

武雄神社 (たけおじんじゃ)

佐賀県武雄市の中央部,御船山東麓に鎮座。旧郷社。主神は武内宿禰,副神は仲哀,応神両天皇と神功皇后。社伝では天平年間(729-749)伴行頼の創祀という。確かな文献上の初見は951年(天暦5)で,当時郡鎮守杵島五社の一つであるとともに府社(大宰府支配下の神社)であり,神主は伴氏であった。平安時代の最末期,杵島郡内に蓮華王院領長島荘が成立し,武雄社は荘鎮守となった。一方神主伴氏は武士領主化し,鎌倉幕府が成立すると守門(そのころから藤原姓を称する)は御家人となり,頼門は蒙古合戦に参戦した。南北朝期はおおむね武家方(探題方)に属した。その後一時千葉氏に従ったが,16世紀半ば豊門は武雄領主となった後藤氏に仕えた。後藤氏は竜造寺・鍋島に従い,大宮司は文禄・慶長の役にも加わったが,その後社領を失い,近世にはあらためて100石を寄せられ,明治維新に及んだ。10月23日に行われる騎射祭は,鎌倉以来の神事と伝えられている。
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世界大百科事典(旧版)内の武雄神社の言及

【長島荘】より

…肥前国杵島郡(現,佐賀県武雄市)に設定されていた京都蓮華王院領の荘園。荘域中央部に郡の惣鎮守武雄神社が鎮座し,この地方の開発も同社によって行われ,951年(天暦5)の武雄社領四至実検状に〈東限 長嶋大路鎮祭隈〉と見える。立券荘号の時期は不明であるが,北方町勧喜寺所蔵の薬師如来像の背銘に〈長嶋庄 医王寺 承安弐年十月〉と見え,承安2年(1172)10月以前に成立していたことがわかる。…

※「武雄神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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