殖栗郷
えくりごう
「和名抄」伊勢本・東急本は「恵久利」と読む。「阿府志」は「此地ハ尼寺・内谷・矢野・延命・一宮・佐那川内迄ナリ」として気延山東麓に連なる諸村および鮎喰川を南に越えた一宮(現徳島市)・佐那河内(現佐那河内村)に比定する。「阿波志」は「今廃」とのみ記す。明治一八年(一八八五)編の名東郡郡誌、同一一年編の名東郡村誌は両者とも旧名東郡中村(現徳島市)の小字に殖栗とあるのを当郷の遺称であるとし、村誌は旧名東郡延命・矢野・中・観音寺・府中の各村(現同上)と旧名西郡西矢野(現同上)、尼寺・内谷(現名西郡石井町)の各村をその比定地にしている(ただし佐那河内村と一宮村をこの郷から除外している)。
殖栗郷
えぐりごう
「和名抄」刊本に升栗、東急本・高山寺本に殖栗とある。訓は高山寺本に恵久利と付す。正倉院文書天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東大寺司牒に「賀茂郡殖栗郷五十戸」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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