中、近世に流行した球戯。地面に引いた線からおのおの約10メートル離れ、長柄(ながえ)に八角稜(りょう)の槌(つち)形の頭の木柄(きづか)を持ち、中央に落とされた木製の玉を相手に打ち込み、線を越せば勝つ。投、打を交互に数回し勝負をつける。神亀(じんき)4年(727)大和春日野(やまとかすがの)で催した毬打(『万葉集』)を初見とするが、鎌倉時代には男子の代表的な遊戯となり、正月には盛んに行われた。『鳥獣戯画』『洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)』などで具体的な遊戯法がわかる。江戸中期には廃れ、遊具のみが金箔(きんぱく)を置き、鶴亀(つるかめ)などを描き、正月の進物にされて室内の飾り物となった。
[猪熊兼勝]