デジタル大辞泉 「遊戯」の意味・読み・例文・類語
ゆう‐ぎ〔イウ‐〕【遊戯】
2 幼稚園・小学校などで、運動や社会性の習得を目的として行う集団的な遊びや踊り。「お
[類語]ゲーム・遊び・
遊戯を〈ゆうぎ〉と読むのは明治時代以降のことで,それ以前は〈ゆげ〉あるいは〈ゆうげ〉と読んだ。もともと遊戯の字は,いっさいの束縛を脱して自由自在の境地にあることを意味する仏教用語として伝来したもので,その意味では,神と交わることを原義とする〈あそび〉と区別される。しかしあそびも遊戯も日常用語としてその意味内容が峻別されたわけではなく,長く同意異語として使用され,今日に至っている。
遊戯に対する古代の知的関心は教育論に集中している。遊戯に言及した作品は,断片的なものがもっぱらであるが,多かれ少なかれ遊戯と子どもの教育とのかかわりを論じるものである。例えばプラトンは,《国家Politeia》と《法律Nomoi》において遊戯のしかたが子どもの人格形成に大きく影響することを指摘し,理想市民の育成には遊戯の質が問われるべきことを論じている。遊戯の教育的有用性はすでに古代に十分認識されていたが,遊戯そのものの教育的価値については二つの基本的認識が対立していた。遊戯は元来が無益なおふざけであって,おとなの思慮深い改良によって初めて教育的価値をもつとするいわば遊戯性悪説と,遊戯はすでにそれ自身で教育性を有しているとする遊戯性善説である。この2様の認識はその後長くヨーロッパ史を生きたが,まず中世と近世を代表したのは遊戯性悪説であった。その極が17世紀末の敬虔主義者Pietistにみられる。彼らの遊戯観を代弁するA.H.フランケは,遊戯は性来罪深いものであり,魂の救済に必要なことを人間に行わせまいとする悪魔のささやきにほかならない。それゆえに,遊戯は厳しいしつけによっていっさいの教育の場から完全に閉め出されなければならないと述べる。しかし子どもをめぐる諸状況が広範に変化する18世紀,つまり古くはニータメールNiethammerのいう〈教育学の世紀〉,近くはP.アリエスのいう〈子どもの時代〉を迎えると事情は変化する。〈子どもは小型のおとな〉から〈子どもはおとなとは質を違えた生の形態〉へと児童観が変化するのに応じて,遊戯観も底流変化をみせる。遊戯性善説が遊戯性悪説にとって代わり始めるのである。近代教育思想の主要な担い手であるJ.J.ルソー(《エミール》)やJ.C.F.グーツ・ムーツ(《身心の修養ならびに休養としての遊戯》)やフレーベル(《人間の教育》)が展開した遊戯教育は,この遊戯性善説に基礎を置いたものである。長い歴史をもつ教育論的遊戯論は,19世紀に入るとそれまでの思弁的段階を脱して科学的構築をみるに至る。その際,遊戯現象をそこに還元して合理的説明をするのに用いられたのは,当時おこりつつあった心理学(生理学的心理学)であった。この新しい系統は,H.スペンサー(《心理学原理》)が予見し,K.グロース(《人間の遊戯》)が発展させた〈子どもの遊戯の生活準備説〉を初期の重要な成果とし,さらにG.S.ホール(《青年期の研究》)の〈先祖返り説〉をステップに,20世紀前半にはJ.ピアジェに到達点をみる〈個体における遊戯の発達段階〉研究の道を開いた。さらに20世紀後半には,遊戯の社会化・文化化(広義の教育)機能がサットン・スミスB.Sutton-SmithやアンダーソンW.W.Andersonなど心理人類学者によって,実証的に論じられるようになる。
遊戯論は,しかし,教育論的関心のみから展開されたわけではなかった。確かに教育論的関心は最も古く,かつ長く中心的であったが,とりわけ19世紀に至ると関心は多様化する。第1は発生ないし起源論の展開である。これはまず,心理学的に説明可能な個体の生活レベルにおける遊戯発現因子を問題としたもので,余剰エネルギー,リビドー,本能などが因子として取り出された。第2は対象が動物にまで拡大され,人間をも含めた動物行動学的な関心から,遊戯が問題にされたことである。例えばグロースは《動物の遊戯》において,動物の子どもの遊びは将来まったき成体として生を営むために生来の不完全本能を訓練し完成させる過程であるとの見解を示し,人間と動物の子どもの遊戯がもつ機能的同質性を提言している。第3は文化レベルでの遊戯論の展開である。19世紀は遊戯論が科学的基礎づけを得た時代で,機能にしろ発現因子にしろ,それらはもっぱら心理学的に個体レベルの問題として論じられたが,他方,童戯の残存起源を唱えたE.B.タイラーや遊戯の文化創造機能を追求したJ.ホイジンガにみるように,遊戯と文化のかかわりを問う領域も現れた。この領域に大きく寄与したのは文化人類学で,未開社会と伝統的社会の文化体系の中で遊戯(デュルケーム的意味での〈物chose〉としての遊戯)が占める位置と意味とが盛んに研究された。今日では,遊戯と文化の関係規定はロバーツJ.M.Robertsらにみるように,遊戯と他の文化要素との相関関係を統計学的に論じる新しい形を生み出している。
多彩な遊戯論が輩出した19,20世紀は,遊戯論史上例をみない特異な時代となったが,それは,18世紀におこった子どもの遊戯観の変化と資本主義的倫理の下でのおとなの遊びの合法化(人力の再生産として労働に益するかぎりでの遊戯の公認)とにより,遊戯が一応の市民権を得たことと無縁ではない。
遊戯の起源は二つのレベルにおいて論じられてきた。個体の生活史レベル(上述)と人類史レベルとである。後者は文化人類学など人類史の再構成にかかわる学問分野で問題にされたもので,遊戯と文化の発生継起の先後関係という形をとって論じられた。この問題分野に先鞭をつけた一人であるタイラー(《原始文化》)は,今日の子どもの遊戯はかつてのおとなのまじめな文化(儀礼や生産技術など)の残存であると指摘する。タイラーは遊戯の起源論を構築するために残存概念を提出したわけではなかったが,その影響は大きかった。現代社会が子どもとおとなの遊戯として知っている活動について,未開社会と伝統的社会に,とりわけその儀礼としての存在を探す試みが,その後文化人類学者によって営々と続けられたのである。しかし,未開社会と現代社会とを進化の軸上にとって遊戯の社会的機能を比較するというしかたで提出されたこの文化先行説に対しては,ホイジンガ(《ホモ・ルーデンス》)に代表される遊戯先行説が対立している。彼はあらかじめ設定した遊戯の諸要素を,文化の諸領域に広範に確認するという作業を通して,文化は遊戯の中で始まったこと,文化は遊戯のより高次の諸形態であることを論じるのである。もちろん,遊戯と文化の発生継起の先後関係をめぐる問題は,まだ最終決着をみない。
今日,遊戯は心理学,文化人類学,社会学,教育学,哲学,歴史学,動物行動学など多くの個別科学の関心をひいている。その背景には,上述した遊戯の市民権の獲得という時代的状況のほかに,遊戯現象の多様性,いいかえれば遊戯理解の多様性(つまり,何でもその中にとり込んでしまうスポンジ概念性Schwammwort)が挙げられる。これには,概念規定の前提となる日常用語としての遊戯がもつ,実際の意味内容の広がりの大きさが重要な一因をなしているが,加えてヨーロッパには,人間の営みのいっさい(個体レベルで1回的に生起するものから,社会・文化的に制度化されたものまで)を遊戯とみる知的伝統がある。この伝統はアンリオJ.Henriot(《遊び》)も指摘したように,人間は神の玩具としてつくられたとのプラトンの命題以来,モンテーニュ,パスカル,ラ・フォンテーヌ,ラ・ロシュフーコー,バルザックなどを経て,実存主義哲学のサルトルに至る系譜をもっているのである。こうした広がりのなかから個別科学がそれぞれ独自に対象を限定し,かつ独自の方法論で構築した多様な遊戯論を体系化するのは,将来の問題である。
→遊び
執筆者:寒川 恒夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
遊戯は、労働、権力(闘争)、愛、死と並ぶ人間の根本現象の一つであり、他の現象から導出することのできない独特の存在性格を有しており(E・フィンク)、多くの思想家が遊戯について考察している。
遊戯の定義・分類について、文化は遊戯のなかで生まれたと考えるホイジンガは、自由、非日常性、没利害性、時間的・空間的分離、規則性によって遊戯を定義しているし、また、カイヨワは遊戯を社会学的に分類した。それについては、項目「遊び」で触れているので、参照してほしい。
[大石昌史]
ほかに、具体的な現象としての遊戯を考察の対象とするのではなく、遊戯を人間あるいは世界の本質的なあり方とみなす思想家もいる。古くは荘子が、自然に従って何ものにもとらわれることのない自由の境地、いわば人間と世界とが一つになった状態を「遊」と表現している(『荘子』)。またプラトンは、人間にとって最善の生き方は、「神の玩具(がんぐ)」という役割に従って、このうえもなく美しい遊戯を楽しむことである、とした(『法律』)。近代の思想家のなかでは、シラーが、構想力と悟性の遊動(遊戯)を美的判断の根拠とするカントを受けて、対象を受容しようとする素材衝動と対象を規定せんとする形式衝動がともに働く「遊戯衝動」が美を生み出すとし、また、美と遊ぶときにのみ人間は完全なものとなる、としている(『人間の美的教育について』)。またニーチェにおいては、ヘラクレイトスの「パイス・パイゾーン(遊ぶ子供)」の断片(52)の解釈を通じて、世界は善悪の彼岸において創造と破壊の遊戯を戯れるもの、と考えられた。彼によれば、ギリシア悲劇は、根源的芸術家ディオニソスの遊戯であり、アポロン的仮象(美しい夢)を通じての世界の自己救済の姿なのである(『悲劇の誕生』)。
ここにあげた思想はいずれも、遊戯のもつ自由な活動性、非日常性等を反映しており、遊戯が自然、神、美、そして世界の根源に接する現実超越的な行為であることを示している。
[大石昌史]
祭祀(さいし)、遊戯、芸術は、その客観的形態(なんらかの行為の「再現」であるという点)においても、現実を超越するという主観的体験においても類似するところが多く、その起源において一つであったことが広く主張されている。また、西洋近代語の「遊戯」は同時に「演技」「演奏」を意味し、遊戯と芸術との密接な関係を示している。しかし、これら三者は以下の点で区別される。
遊戯と芸術は、祭祀の内にある行為の「再現」という性格から生まれたものではあるが、祭祀が豊作や降雨を祈願する他目的的行為であるのに対して、遊戯や芸術においては「再現」が自己目的化している点で、祭祀とは異なる。また、遊戯と芸術とは、芸術においてはさしあたっては創作者と享受者とが分離し、作品を媒介とした両者の社会的コミュニケーションが成立するのに対して、遊戯においては両者の分離が存在せず(行為する者と見る者とが一つになっている)、作品も生み出されないことから、社会的コミュニケーションが成立しないという点で異なる(渡辺護(まもる)『芸術学』)。それゆえに遊戯は純粋に自己目的的行為であり、そこにおいて社会的分化(分業)が成立する以前の自然の共同体(コミューン)の意識が体験されうる場なのである。
[大石昌史]
『F・シラー著、石原達二訳『人間の美的教育について』(『美学芸術論集』所収・冨山房百科文庫)』▽『F・ニーチェ著、秋山英夫訳『悲劇の誕生』(岩波文庫)』▽『ホイジンガ著、高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス』(中公文庫)』▽『ロジェ・カイヨワ著、多田道太郎・塚崎幹夫訳『遊びと人間』(講談社文庫)』▽『E・フィンク著、石原達二訳『遊戯の存在論』(1971・せりか書房)』▽『E・フィンク著、千田義光訳『遊び――世界の象徴として』(1976・せりか書房)』
字通「遊」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 1910年代から20年代にかけて,ディアギレフの主宰する〈バレエ・リュッス〉のために,現代音楽の新しいイズムをもったバレエ音楽が相次いで創造される。ストラビンスキーの《火の鳥》(1910)と《ペトルーシカ》(1911)と《春の祭典》(1913),J.M.ラベルの《ダフニスとクロエ》(1912),ドビュッシーの《遊戯》(1912)などである。一方,同じ時期に発表されたファリャの《恋は魔術師》(1915)と《三角帽子》(1919)は,民族的色彩の濃いバレエ音楽として知られる。…
※「遊戯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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