民芸紙(読み)みんげいし

改訂新版 世界大百科事典 「民芸紙」の意味・わかりやすい解説

民芸紙 (みんげいし)

民芸運動のなかから生まれてきた各種の手漉(てすき)和紙総称近代の手漉和紙は二つの大きな流れをもつ。一つはタイプライター原紙(典具帖紙(てんぐじようし)),謄写版原紙雁皮(がんぴ)の薄様(うすよう)),図引紙(ずびきし)(三椏紙(みつまたがみ))のように工業紙として高価に輸出された紙である。わずかな厚さのむらや,一つのピンホールも許さない厳重な規格によって,漉く技術は限界まで洗練されたが,和紙の美しさは失われた。他の一つは障子紙,傘紙などとして日常生活に供給されたが,生産能率を上げ,価格を安くし,さらに都会趣味に応じるため,鉄板乾燥などの改良策を行い,原料木材パルプなどを混入し,薬品漂白などで紙を真っ白にするなどの工法が,製紙試験場等の指導で普及していった。このように手漉和紙本来の特色が失われる傾向に対し,知識人の間で批判はあったが,とくに昭和初期から民芸運動を活発に指導していた柳宗悦は強く反対した。柳は1931年に島根県松江市で開催した新作民芸品の展示会のおりに,当時,29歳の安部栄四郎(1902-84)の漉いた厚手の雁皮紙を賞賛したのが機縁となって,安部の東京における紙の個展や雑誌《工芸》の和紙特集(1933)などによって,民芸紙の内容が整ってきた。それは,コウゾ,ガンピ,ミツマタの未晒紙(みざらしがみ),植物染紙,粗い繊維の筋などを入れた素朴な装飾の紙などで,装丁,襖紙(ふすまがみ),色紙短冊封筒,案内状などの用途を配慮したものであった。柳はこれらの実践をもとに,自然の素材の美を発揮した和紙を主張する〈和紙の美〉(1933),〈和紙の教え〉(1942)等を発表,この民芸紙の論考にそって,寿岳文章らの研究と実践が続く。その後,民芸紙の試みは八尾民芸紙(富山市の旧八尾町),因州民芸紙(鳥取市の旧青谷町),琉球民芸紙(沖縄県那覇市)などと広がり,現在,和紙産地では多かれ少なかれ,民芸紙が生産されるほど普及し,大衆化されている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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