日本歴史地名大系 「気仙沼本郷」の解説 気仙沼本郷けせんぬまほんごう 宮城県:気仙沼市気仙沼本郷[現在地名]気仙沼市化粧坂(けしようざか)・三日町(みつかまち)一―三丁目・沢田(さわだ)・八日町(ようかまち)一―二丁目・魚町(さかなまち)一―三丁目・入沢(いりさわ)・太田(おおた)一―二丁目・陣山(じんやま)・南町(みなみまち)一―四丁目・南町海岸(みなみまちかいがん)・浜見山(はまみやま)・笹が陣(ささがじん)・柏崎(かしざき)・港町(みなとまち)・河原田(かわらだ)一―二丁目・南が丘(みなみがおか)一―二丁目・幸町(さいわいちよう)一―四丁目・本町(もとまち)一―二丁目・新町(あらまち)・福美町(ふくみちよう)・滝の入(たきのいり)・古町(ふるまち)一―四丁目・館山(たてやま)一―二丁目・魚市場前(うおいちばまえ)・仲町(なかまち)一―二丁目・弁天町(べんてんちよう)一―二丁目・潮見町(しおみちよう)・本郷(ほんごう)・南郷(なんごう)・田谷(たや)・神山(かみやま)・朝日町(あさひまち)・田中前(たなかまえ)・上田中(かみたなか)、字九条(くじよう)・後九条(うしろくじよう)・四反田(したんだ)・常楽(じようらく)・田中沖(たなかおき)・田谷前(たやまえ)・田中(たなか)・上田中・田中前・川畑(かわばた)・古町(ふるまち)・町裏(まちうら)・一景島(いつけいじま)・内の脇(ないのわき)・川口町(かわぐちちよう)・反松(たんまつ)・駒場(こまば)気仙沼湾奥の西方一帯を占め、東は湾を挟んで鹿折(ししおり)村、北は同村および月館(つきたて)村、西は新城(しんじよう)村、南は赤岩(あかいわ)村。境域を大(おお)川が南東流し湾に注ぐ。近世以前に気仙沼とよばれた地域は、当村のほか広く小原木(こはらぎ)・唐桑(からくわ)(現本吉郡唐桑町)、鹿折・大島(おおしま)・新城・月館・赤岩を含んでいたが、寛永一九年(一六四二)の検地で八ヵ村に分立(武蔵屋長治郎記録)、それ以来当地は気仙沼地域の中心地として気仙沼本郷と称されるようになる。リアス海岸に立地した良港をもち、また気仙道が通る交通の要衝として仙台藩領北部の枢要の地であった。気仙沼が港津として史料に登場するのは、慶長五年(一六〇〇)八月の葛西大崎船止日記(伊達家文書)で(→気仙沼湾・気仙沼津)、この頃までに気仙沼が仙台藩海上交通の拠点となっていたことを示す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by