新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「水野忠幹」の解説 水野 忠幹ミズノ タダモト 肩書新宮藩知事 生年月日天保9年11月7日(1838年) 出生地江戸 経歴万延1年家督を相続して紀伊新宮藩主となり、明治2年新宮藩知事に任命される。4年廃藩置県により藩知事を免官、上京を命じられて東京に移住。17年男爵を授けられる。 没年月日明治35年4月30日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水野忠幹」の解説 水野忠幹(2) みずの-ただもと 1835-1902 幕末-明治時代の大名,華族。天保(てんぽう)6年生まれ。水野忠央(ただなか)の子。万延元年(1860)家督をつぎ,紀伊(きい)和歌山藩付家老,新宮城主として藩主徳川茂承(もちつぐ)を補佐した。慶応4年(1868)朝廷の命で大名とされ,独立して新宮藩主となる。明治17年男爵。明治35年4月30日死去。68歳。 水野忠幹(1) みずの-ただもと 1699-1723 江戸時代中期の大名。元禄(げんろく)12年5月5日生まれ。水野忠周(ただちか)の長男。享保(きょうほう)3年信濃(しなの)(長野県)松本藩主水野家5代となる。財政再建につとめ,藩政の資料とするため地誌「信府統記」の編集に着手させた。享保8年5月10日死去。25歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by