水門村(読み)すいもんむら

日本歴史地名大系 「水門村」の解説

水門村
すいもんむら

[現在地名]奈良市水門町

東大寺境内南西の一隅にあり、当初の伽藍院坊の旧地にあたる奈良町外辺の村で「奈良坊目拙解」は「東大寺領、各年貢地」とし、東水門町・南水門町・西水門町・北水門町の四ヵ所に人家があり、一郷をなすと記す。康治二年(一一四三)六月二八日の重誉房地田地配分状(大東急文庫所蔵文書)は、国分こくぶ門の北脇楞伽りようが院という東大寺子院の敷地を信尊・姉子・尊珍に分与した文書であるが、ここに水門川の名がみえる。安貞二年(一二二八)六月七日の尼蓮阿弥陀仏屋等譲状には、「スイモムノチノケム」、すなわち水門の地の券とある。中世は東大寺七郷のうちであったと思われる。

「奈良坊目拙解」によれば、当地は永禄一〇年(一五六七)一〇月一〇日の松永久秀による兵火、寛永一九年(一六四二)一一月二七日の大火でことごとく焼失し、のち在家が復活、八幡宮神職・衆徒・楽人・工匠らが居住した。


水門村
みつかどむら

[現在地名]下郷町澳田いくた

白岩しらいわ村の南、阿賀川右岸の平地と段丘上に立地。北境を男女みな川が西流し阿賀川に合流する。縄文時代・弥生時代の遺跡が三ヵ所にある。南山御蔵入領松川組に属する。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」では九九布こうぶ郷に属する。延宝八年(一六八〇)の年貢割付状(下郷町史資料集)に村名がみえ、高三〇一石余。宝暦八年(一七五八)の家数六三・人数二四三、馬二六(「会津郡大沼郡人別牛馬改帳」阿久津家文書)。文化元年(一八〇四)の村手鑑(下郷町史資料集)によれば、反別三三町余、うち畑二八町余、役漆木一五四本。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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