日本歴史地名大系 「永富村」の解説 永富村ながとみむら 岡山県:阿哲郡大佐町永富村[現在地名]大佐町永富小南(こみなみ)村の北、小坂部(おさかべ)川の左岸に位置し、東方の傍示(ほうじ)峠を東城(とうじよう)往来で越えると美作国清谷(せいたに)村(現真庭郡勝山町)。集落は東町(ひがしまち)・下組(したぐみ)・上組(かみぐみ)・是森(これもり)・横見(よこみ)・助近(すけちか)・郷尾(ごうのう)・平(ひら)・中曾(なかそ)などに散在。江戸末期―明治初期には村は上下に分れていた。なお土地の伝えによれば、もと字高下(こうけ)に町とよばれるほどの集落があったが、大火により全滅、人々は下組に移って新たに町場を形成したという。高下には古市場(ふるいちば)荒神が祀られており、下組には町(まち)・町坂(まちざか)・加市(かいち)・大町(おおまち)・下市場(しもいちば)などの地名がある。また下組には蛭子様・市場荒神・大町荒神が祀られており、徳万長者(とくまんちようじや)・東・オモテとよばれる広大な屋敷跡がある。 永富村ながどみむら 千葉県:長生郡長柄町永富村[現在地名]長柄町長富(ながどみ)桜谷(さくらや)村の南に位置し、一宮(いちのみや)川が東流する。大多喜(おおたき)往還が通る。長富・永留などともみえ、元禄郷帳では「留(とめ)」とする。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に長富村とみえ、高一八七石は幕末まで変わらない。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では長留村として家数二五、旗本芝田領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by