永楽宮 (えいらくきゅう)
Yǒng lè gōng
中国,元代の道観建築。黄河北岸の山西省芮城(ぜいじよう)県永楽鎮にあり,正式名称を大純陽万寿宮という。八仙の一人,唐の呂洞賓(りよどうひん)の故地で,死後,祠が建てられ,次いで道観に改められたが,元初の火災で消失した。現在の建築は,無極門,三清殿,純陽殿,重陽殿からなり,1247年(定宗2)から62年(中統3)の間に造営された。主殿の三清殿は,道教の最高神,元始天尊・太上老君・太上道君をまつり,純陽殿は呂洞賓,重陽殿は全真教の創始者王重陽をまつる。これらの建築の壁面には大規模な壁画が描かれ,とくに三清殿の《朝元図》は,天地の神々が道教の尊神に朝見する情景を表し,像高約2m,286体の神像が行列をなす。また純陽殿と重陽殿は,それぞれ呂洞賓と王重陽の伝説故事を描く。壁画は建築より遅れ,1325年(泰定2)と58年(至正18)の題記が発見されている。なお1959年から7年をかけて,三門峡の水利工事のため,芮城県の北に移築された。
執筆者:曾布川 寛
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永楽宮
えいらくきゅう
中国、元代(13~14世紀)の建造物。山西省永済県の東南60キロメートル、黄河の北岸に近い永楽鎮にあったが、1959年、黄河の水利工事に伴い、芮城(ぜいじょう)県城北の竜泉村に移築された。道教八仙の一人として名高い唐末の道士呂洞賓(りょどうひん)の故居と伝えられるところで、無極門、三清殿(さんせいでん)、純陽殿、重陽殿など豪壮な元代の建築が残っている。隣接して披雲道院(ひうんどういん)、三皇閣(さんこうかく)、呂祖祠(りょそし)、三官殿、城隍廟(じょうこうびょう)などもあり、大純陽万寿宮と総称する。永楽宮は俗称。注目されるのは殿内の壁画で、帝王皇后の形をした主神八尊を囲んでいる二百数十の直日神(ちょくじつしん)の群像(三清殿)、呂洞賓の生涯を描いた『仙遊顕化図』(純陽殿)などが有名。
[吉村 怜]
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永楽宮
えいらくきゅう
Yong-le-gong
中国,山西省永済県永楽鎮にあったが,現在は 芮城県県城に移建した道観。原位置は道教の八仙の一人唐末宋初の呂洞賓 (りょどうひん) の故宅と伝えられ,現在の建物は元の中統3 (1262) 年から至正 18 (1358) 年の間に重建されたもの。 1954年に学界に紹介されてから有名になり,各建物に残る壁画とともに元代様式の基準を示すものである。建物は南より宮門,無極門,三清殿,純陽殿,重陽殿 (七真殿) である。
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永楽宮【えいらくきゅう】
中国,山西省永済県永楽鎮にある,唐末の道士呂洞賓(りょどうひん)の廟(びょう)。三清殿,重陽殿など元代の建築が残っている。内壁には壁画が描かれ,元代の絵画・風俗資料として貴重。
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世界大百科事典(旧版)内の永楽宮の言及
【寺院建築】より
…北宋,1023‐32)で,飛梁という十字形石橋を架けた方池を前面に掘った東向きの自由な配置をとる。[永楽宮](山西省永済。現在は芮城に移築)は唐の呂洞賓の祠に建てられた典型的な[道観]遺構で,かつての壮大な規模は失われたものの,無極門,三清殿,純陽殿,重陽殿と中軸線にならぶ元代1262年から建立の建築群が現存し,とくに華麗な壁画で知られる。…
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