江原村(読み)えばらむら

日本歴史地名大系 「江原村」の解説

江原村
えばらむら

[現在地名]甲西町江原

田島たじま村の北西、滝沢たきざわ川の右岸に位置する。永禄四年(一五六一)の番帳の五〇番に「十五所の禰き」と並んで「江原の禰き」がみえ、慶長一三年(一六〇八)の番帳の四七番にも「江原之禰宜」が「十五所之禰宜」とともにみえる。しかし今度は江原が先に記されている。江原の禰宜は当地の浅間神社の禰宜であろう。慶長古高帳に村名がみえ、高四七一石余、ほかに龍正(隆昌)院領五石三斗余・浅間社領六石七斗余。寛文一一年(一六七一)検地帳(県立図書館蔵)によると麦田六反余・上田四町四反余・中田八町二反余・下田一二町四反余・下々田四町八反余、上畑二町余・中畑一町四反余・下畑三町二反余・下々畑二町八反余、田畑計四〇町三反余、屋敷数は四六、計一町余、高四九三石余・小物成高二石四斗余、ほかに隆昌りゆうしよう院領五石三斗余・浅間神社領六石七斗余。天保三年(一八三二)田安家領となるが、このとき当村は同じく田安家領となった古市場ふるいちば村・鮎沢あゆざわ村・清水しみず村・下宮地しもみやじ村・塚原つかはら村など二〇ヵ村とともに幕府領市川いちかわ役所(現市川大門町)支配として継続してほしい旨願出ている(以上「幕府領継続願書」佐藤博家文書)

江原村
えばらむら

[現在地名]日高町江原

宵田よいだ村の北、円山まるやま川の両岸に立地し、集落は左岸にある。中世には荏原と書いた。建武三年(一三三六)八月日付の伊達義綱軍忠状(南禅寺文書)に、凶徒(後醍醐天皇方)等の但馬国蜂起により、大将(今川頼貞か)に従って京都から但馬に入り進美しんめい寺攻めに参加した義綱は、八月一三日「荏原責口」から城内に攻め入っている。また荏原八郎が同所で合戦し、この次第を見知しているという。荏原氏は当地を本拠とする武士と考えられ、小野とも称し、南北朝時代には日置ひおき郷の地頭職を得ている(正平一八年八月二一日「荏原範連田地寄進状」大岡寺文書など)

安土桃山時代には江原村が現れ、新町が形成されていた。文禄四年(一五九五)正月二七日付で有子山ありこやま(出石城、現出石町)城主の前野長泰(長康)は「江原村新町」の諸役を免除するとともに在郷百姓の新町への移住を禁じ(「前野長泰諸役免除状」田口文書)、長泰が豊臣秀次事件に連座して切腹したあと有子山城主となった小出吉政も、同年八月一二日付で「江原村新町」の諸役を免除している(「小出吉政諸役免除状」同文書)

江原村
えはらむら

[現在地名]西尾市江原町

おもて山の麓を南流する矢作古やはぎふる川の東岸に位置し、北西を安藤あんどう川が流れる。北は安藤川をもって小島おじま村と境し、東は尾花おはな村、南は岡島おかじま村、西は和気わき村に接する。村名の起りについては明らかでないが、地勢のうえから起こったと思われる。小字に西柄にしがら(西河原)川田向かわだむかい御浦ごうら蓮池はすいけ新田・ながれなど水に関したものが多く、しだいに新田に開発されたことをうかがわせる。「日本地理志料」は「和名抄」の碧海あおみ礼郷の一とし、三河国内神名帳に「正五位上 江原天神 坐碧海郡」とあるところから、往時は碧海郡に属していた。

近世の江原村は、初め板倉内膳正領、寛永一六年(一六三九)分家の旗本板倉重直領となり、江原・岡島・駒場こまんばの諸村とともに深溝ふこうず陣屋(現額田郡幸田町)の支配を受けた。

江原村
えばらむら

[現在地名]深谷市江原

小山こやま川右岸の沖積低地に位置し、西は石塚いしづか村、南は蓮沼はすぬま村、北は同川を境に上野国新田につた前小屋まえごや(現群馬県尾島町)。「和名抄」にみえる幡羅はら荏原えはら郷の遺称地とされるが、「風土記稿」はもと蓮沼村の内で慶長七年(一六〇二)の検地で江原村として分村したとする。のち元禄(一六八八―一七〇四)以前にほぼ西部の上江原村と東部の下江原村に分村し、両村ともおし領に所属(同書)。猪俣党荏原氏の名字の地とされ、猪俣党系図(諸家系図纂)では河勾政重(猪俣時範の玄孫)の子範政が荏原太郎を称している。

江原村
えばらむら

[現在地名]西伯町なか

今長いまなが村の南東、東長田ひがしながた川の中流域に位置し、法勝寺ほつしようじ往来の枝道、金山かなやま越に沿う。東は八子やこ村。拝領高は九九石余、本免は五ツ七分。幕末の六郡郷村生高竈付では生高一二〇石余、竈数二五。安政三年(一八五六)頃の身許九段調(細田家文書)によると家数は二七、階層の内訳は中の下三・下の上七・下の中七・下の下八・等外二。「伯耆志」では家数二五・人数一一〇、林三七町余。物産として藤布・箕をあげる。天保一五年(一八四四)当村と金崎かながさき村の間で氏神社地の境界をめぐって争いが生じたが和談となっている(在方諸事控)。明治三年(一八七〇)の御用方諸事手控(細田家文書)によると耕地面積一一町一反余・山林面積三七町九反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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