江口朴郎(読み)エグチ ボクロウ

20世紀日本人名事典 「江口朴郎」の解説

江口 朴郎
エグチ ボクロウ

昭和期の歴史学者 東京大学名誉教授;元・津田塾大学学芸学部教授。



生年
明治44(1911)年3月19日

没年
平成1(1989)年3月15日

出生地
佐賀県

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部西洋史学科〔昭和8年〕卒

経歴
昭和9年外務省の嘱託となる。16年姫路高校教授、22年一高教授、25年東大助教授、28年教授を歴任。46年退官後、法政大を経て、49年津田塾大教授に就任マルクス主義立場で現代世界史と外交史研究に新生面を開き、歴史学研究会委員長や日本学術会議会員などを務めた。一方で原水協代表委員などに就任、大戦の体験と帝国主義研究を通じて平和・民族解放運動の実践にもたずさわった。著書に「日本帝国主義の発展」「帝国主義と民族」「帝国主義の時代」、「江口朴郎著作集」(全5巻 青木書店)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「江口朴郎」の意味・わかりやすい解説

江口朴郎
えぐちぼくろう
(1911―1989)

西洋史学者。佐賀県の生まれ。1933年(昭和8)東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。第一高等学校教授などを経て、50年(昭和25)東京大学教養学部助教授、ついで教授(1953)となり、国際関係論科および大学院国際関係論課程の主任を務めた。のち法政大学、津田塾大学で教鞭(きょうべん)をとった。初期には第一次世界大戦前の外交史を研究したが、第二次大戦敗戦以後は現代史の諸領域にわたり、帝国主義を反帝国主義諸勢力との対抗関係において国際的視野からとらえることを提唱した。また歴史学の課題と方法について柔軟なマルクス主義的見地からしばしば発言し、学界に多大の影響を与えた。民間の有力な学会である歴史学研究会の代表(1950~58)、委員長(1959~61)として左派アカデミズムの指導的地位にあった。主著『帝国主義の時代』(1969)など。

[斉藤 孝]

『『江口朴郎著作集』全五巻(1974~75・青木書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江口朴郎」の解説

江口朴郎 えぐち-ぼくろう

1911-1989 昭和時代の歴史学者。
明治44年3月19日生まれ。一高教授をへて,昭和28年東大教授となる。のち法大教授,津田塾大教授。第一次大戦前後の国際関係史を研究。歴史学研究会代表,原水協代表委員,日本ラオス友好協会会長などをつとめた。平成元年3月15日死去。77歳。佐賀県出身。東京帝大卒。著作に「帝国主義と民族」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「江口朴郎」の解説

江口 朴郎 (えぐち ぼくろう)

生年月日:1911年3月19日
昭和時代の歴史学者
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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