日本歴史地名大系 「江文寺」の解説 江文寺えぶみじ 京都市:左京区井出村江文寺京都市左京区大原(おおはら)の金毘羅(こんぴら)山(旧称江文山)の山腹にあったと伝える寺。創建の由来は明らかでないが、「後拾遺往生伝」に大治五年(一一三〇)没の参議藤原為隆によって「鞍馬、法輪、江文、信貴、高野、粉河、勧修寺」の寺々に四天王像が安置され、不断供養法を修めたとあり、これ以前の建立であることがうかがえる。また同書の快賢の条には近江延暦寺西塔菩提房より快賢が「大原江文寺」に移住し寺に草庵を構え、人々がこれを泉下房とよんだことが記される。本尊は毘沙門天(拾芥抄)で都の鬼門北東の鎮守寺であったと思われる。「吉記」承安四年(一一七四)二月一六日条には「先参鞍馬寺、(中略)休息之後、越薬王坂、午斜参着江文寺、此十年許前、一度所参詣也」とみえ、吉田経房が訪れて「称別当僧来云、無段歩田園、偏憑十方施入、仍灯明日別一合、雖狭少可進之由、約諾了、為来世之資粮也」と別当僧より寺の窮状を聞き、灯明料として日別一合の施入を約束している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報