江曾村(読み)えそむら

日本歴史地名大系 「江曾村」の解説

江曾村
えそむら

[現在地名]七尾市江曾町

石動せきどう山系の麓に位置し、北はしも村・中挟なかばさみ村。御祓みそぎ川の上流江曾川が流れ、西側を内浦街道が通る。垣内向山むかいやま新田しんでん鬼原おにがわら上出かみで・下出がある。古代能登郡越蘇えそ(和名抄)の遺称地で、越蘇駅(「日本後紀」大同三年一〇月一九日条)を当地に比定する説がある(→越蘇郷。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に、山城国石清水いわしみず八幡宮寺領として恵曾飯川えそいがわ保がみえる。御封会料米の便補保で、国司奉免を得て同宮寺の知行となっていたが、当時預所以下の押領が図られており、その停止が沙汰されていた。その後同保は越曾郷と飯川保に分離されたらしく、承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文によると、越曾郷の公田数は同元年の国衙の検注旧来の五町六段七から大幅に減少し、四段と定められた。

江曾村
えそむら

[現在地名]石鳥谷町江曾

奥州街道に沿って開け、北は黒沼くろぬま村、南はくず(現花巻市)。「えぞ」ともよばれ、蝦夷との関連も考えられる。かつては黒沼村の一部で、貞享(一六八四―八八)頃に分村したという(管轄地誌)。元和八年(一六二二)一〇月二五日の南部利直蔵入物成申付状(花巻宗青寺文書)に江曾の地名がある。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では蔵入高九五石余で、七ヵ年平均の免は三ツ八分六厘九毛。「邦内郷村志」では蔵分九八石余、家数二二。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では「エゾ」と読み、家数二一、うち本村一五で、枝村は柳館やなぎだて六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android