日本歴史地名大系 「池田陣屋跡」の解説 池田陣屋跡いけだじんやあと 徳島県:三好郡池田町池田村池田陣屋跡[現在地名]池田町 サラダ上野(うえの)台地下の字サラダ、通称宗安(むねやす)にあった徳島藩の陣屋(代官所)。現在も通称北条(ほうじよう)坂以西の新地東部筋を御陣屋(ごじんや)通と称する。寛永一五年(一六三八)の池田城廃城後、讃岐・伊予・土佐に接する要衝である当地に設置され、三好・美馬(みま)二郡の郡奉行(のち郡代)の手代(大西代官)、のちには郡代が詰めた。池田城番であった中村若狭は池田城廃城によって徳島城下に移ったが、三好・美馬両郡の郡奉行を兼ねた。陣屋には郡奉行の代理の手代が詰め、政務のほとんどは手代の専決によってなされた。中村若狭の子美作の改易後、池田城付であった郷鉄砲二組は大西代官の支配下となっている(「御作法御成来り替并御家中とも以前ニ相違候品草案」蜂須賀家文書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by