池町
いけまち
[現在地名]浜松市池町・元城町
浜松城の東に位置する脇町。東西に延びる田町に直交し、北に延びる秋葉道に沿う。北は下垂町(井上氏時代城下絵図など)。延宝五年(一六七七)の浜松町村家数高間尺帳によれば町の長さ二町一〇間、家数二二。浜松各町書上によると町並は東側一二一間一尺・西側一一一間一尺、町幅四間。本役家屋敷一四、総家数四三、うち借屋三。
池町
いけまち
[現在地名]上野市池町
西は恵美須町、北は忍町に続き、寛永絵図(岡森明彦氏蔵)に東かや町とある。延宝七年(一六七九)六月三日「東茅町出火五十三軒焼失之事 △こぼち家共七十軒程也」とある(永保記事略)。この七〇軒は竈数であろう。「統集懐録」によれば、延宝頃の池町家数四一とあり、同七年の火事後まもなく町名が変更されたと思われる。当町南端にかご池と称される大池があり、前掲寛永絵図に描かれるが、寛文年間(一六六一―七三)以後の絵図にはみえず、埋立てられたと思われる。
池町
いけまち
[現在地名]久留米市中央町
細工町の南、池町川の左岸にあり、東は八百屋町、西は田町に接する。卑湿の地で、水災にあうという(校訂筑後志)。寛文十年寺社開基に池町一丁目・池町二丁目とあり、寛文元年(一六六一)池町の町立てが行われ、この年池町一丁目に山伏一乗院・本寿院・円光院、同二丁目に宝寿院が祈念所を建立した。元禄九年(一六九六)の白石火事で全焼(米府紀事略)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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