日本歴史地名大系 「秋葉山」の解説
秋葉山
あきはさん
現春野町と磐田郡
享保二年(一七一七)成立の秋葉山略縁起(山田家文書)などによれば、養老二年(七一八)行基により開かれ、山頂に行基作の聖観音・十一面観音・勝軍地蔵の三像が安置された。その後信州に生れ、越後蔵王堂(現新潟県栃尾市)で不動三昧の法を修行して烏天狗の相と飛行自在の神通を得た修験者三尺坊が大同四年(八〇九)白狐に乗って秋葉山に飛来、諸国をめぐったのち永仁二年(一二九四)当山に帰り、守護神三尺坊権現となったという。また秋葉寺の名は住僧が山上に水がないことを観音と守護神へ祈ったところ、一夜のうちに北西隅に清水(機織井)が湧出し、背中に秋葉の二字を乗せた蝦蟆が現れたことにより付けられたとされる。同寺は当初霊雲院と称しており、また法相宗であったがのち曹洞宗に転じたと伝える(「掛川誌稿」など)。天竜川流域一帯で活動した修験の回峰霊場の一となり、また三尺坊権現の利益の第一は弓箭刀杖の難を逃れること、第二は出火類焼の災難を逃れることなどとされていることから、武士らにも広く信仰された。
永禄一二年(一五六九)八月七日の徳川家康判物写(高木文書)によれば、家康から「犬居秋葉寺」の別当光播に別当職および諸勧進寺務が安堵されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報