池辺郷
いけのべごう
「和名抄」にみえる。高山寺本・刊本とも訓を欠くが、讃岐国三木郡池辺郷を「以介乃倍」(高山寺本)・「伊介乃倍」(刊本)とするのでこれに従う。
「延喜式」(主水司)は氷室の一つに「丹波国桑田郡池辺一所」をあげるが、この池辺一所は氷室文書にみえる神吉氷室に比定されており、したがって池辺郷も神吉(現船井郡八木町神吉)を含む地域と考えられている。神吉はのち吉富新庄を構成する一地域となっている。
なお細川庄(現北桑田郡京北町)内に比定される現京北町大字下の薬師寺(旧称蔵春庵)に蔵される鐘に永和元年(一三七五)六月五日付の銘があり、「丹波国桑田郡池辺郷細川下村岸寺之鐘」という文言があるので、細川庄の地も池辺郷であったと考えられてきた(大正一二年「京都府北桑田郡誌」)。
池辺郷
いけのべごう
「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。同書の讃岐国三木郡池辺郷には「伊介乃倍」「以介乃倍」の訓が付されているので、これに準じて訓じておく。「日本地理志料」は、現在の小山市南辺から下都賀郡野木町友沼・丸林・南赤塚の地域に、「大日本地名辞書」は郷名より類推して旧赤麻沼(現在の下都賀郡藤岡町の渡良瀬遊水地)東北辺の現下都賀郡藤岡町中根・蛭沼付近から思川西岸の現小山市域に想定する。
池辺郷
いけのへごう
「和名抄」高山寺本は「以介乃倍」、東急本には「伊介乃倍」と訓を付す。平城宮跡出土木簡に「池辺秦□
」とあり、郷内に渡来系氏族の秦氏が居住していたことを推測させる。
池辺郷
いけのべごう
「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠くが、寒川郡池辺郷に倣い、同様に訓じておく。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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