沖禎介(読み)おき ていすけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

沖禎介 おき-ていすけ

1874-1904 明治時代の諜報(ちょうほう)活動家。
明治7年6月生まれ。34年清(しん)(中国)にわたり東文学社の教師となる。のち文明学校を創立。日露戦争がおきると特別任務をもって横川省三らとチチハル雅児河鉄橋の爆破をくわだてて失敗,ロシア軍に捕らえられ明治37年4月21日ハルビンで銃殺された。31歳。長崎県出身。東京専門学校(現早大)中退。

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朝日日本歴史人物事典の解説

沖禎介

没年:明治37.4.21(1904)
生年:明治7.6.(1874)
日露戦争時の特殊任務従事者。沖縄地方裁判所判事沖荘蔵の長男。長崎県平戸生まれ。長崎尋常中学在学中出奔して熊本済々黌に入学。第五高等学校中退ののち明治28(1895)年上京して早稲田専門学校に入る(中退)。34年中国(清)に渡り北京の東文学社の社長代理となり,36年独立して文明学校を創設,清国人教育に取り組んだ。37年日露戦争が勃発すると,志願して特別任務班に入り,横川省三らと共にロシア軍兵站の大動脈である東清鉄道の鉄橋(フラルギー駅付近)を爆破しようとしたが,ツルチハ駅(隣駅)付近で発見され,ハルビン郊外で銃殺刑に処せられた。戦後勲5等を授けられ,40年靖国神社に合祀。<参考文献>村尾要三『志士沖禎介』,南満州鉄道株式会社『南満州鉄道旅行案内』

(岸本昌也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

おきていすけ【沖禎介】

1874‐1904(明治7‐37)
日露戦争時の諜報活動家。平戸藩士(のち那覇地方裁判所判事)沖荘蔵の長子。五高,東京専門学校中退。内田良平と交渉があり黒竜会に出入りした。1901年北京に行き,東文学舎,文明学堂などで教鞭をとる。日露戦争開始とともに北京公使館付武官の求めに応じ,特殊任務班員として横川省三とともにチチハル付近に潜入,鉄道橋梁爆破の直前,4月11日ロシア軍に捕らえられ,横川とともにハルビン郊外で銃殺刑に処せられた。【原田 勝正】

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