横川省三(読み)よこかわしょうぞう

精選版 日本国語大辞典 「横川省三」の意味・読み・例文・類語

よこかわ‐しょうぞう【横川省三】

  1. 軍事探偵。岩手県出身。日露戦争満州潜入、ロシア東清鉄道破壊を計画するが発見され、ハルビンで銃殺された。慶応元~明治三七年(一八六五‐一九〇四

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20世紀日本人名事典 「横川省三」の解説

横川 省三
ヨコガワ ショウゾウ

明治期の志士,新聞記者 日露戦争当時の軍事探偵。



生年
元治2年4月4日(1865年)

没年
明治37(1904)年4月21日

出生地
陸奥盛岡(岩手県盛岡市)

旧姓(旧名)
三田村

別名
号=北溟,精軒

経歴
盛岡藩士三田村家の三男で、横川家を継ぐ。明治17年小学校教師を辞して上京有一館に入り自由民権運動に投じ、加波山事件連座、禁錮6カ月。23年東京朝日新聞社に入社、26年郡司成忠の千島探検に参加し、同紙に「短艇遠征記」を掲載。日清戦争には従軍記者となったが、29年退社。34年内田康哉北京公使に随行、35年蒙古縦断を企てて失敗。北京の東文学舎に入り沖禎介らと知る。日露戦争直前に満洲を中心とした軍事諜報活動に従事。37年日露開戦直後、沖禎介、松崎保一らとチチハル付近で鉄橋を爆破しようとしてロシア軍に逮捕され、ハルビンで銃殺された。

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改訂新版 世界大百科事典 「横川省三」の意味・わかりやすい解説

横川省三 (よこがわしょうぞう)
生没年:1865-1904(慶応1-明治37)

自由民権運動家,のち軍事諜報活動に従事。盛岡に生まれ,自由民権運動に参加,加波山事件に連座し禁錮6ヵ月の刑を受けた。1890年《朝日新聞》に入社,郡司成忠の千島探検に参加,日清戦争に従軍,96年退社。1904年日露戦争開戦直後,沖禎介らとチチハル付近のロシア東清鉄道橋堡爆破を企てて捕らえられ,沖禎介とともに4月21日ハルビンで銃殺された。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横川省三」の解説

横川省三 よこかわ-しょうぞう

1865-1904 明治時代の新聞記者,軍事探偵。
元治(げんじ)2年4月4日生まれ。自由民権運動に参加し,加波山(かばさん)事件で投獄される。明治23年東京朝日新聞にはいり,記者として郡司成忠(ぐんじ-しげただ)の千島探検に同行,日清(にっしん)戦争に従軍する。30年退社。37年日露開戦後,特殊工作員として沖禎介らとチチハル付近の鉄橋を爆破しようとしてロシア軍に捕らえられ,4月21日ハルビンで銃殺される。40歳。陸奥(むつ)盛岡出身。本姓は三田村。
【格言など】今彼等の手に依り銃殺せらる。是天なり命なり(遺書)

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367日誕生日大事典 「横川省三」の解説

横川 省三 (よこがわ しょうぞう)

生年月日:1865年4月4日
明治時代の志士
1904年没

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世界大百科事典(旧版)内の横川省三の言及

【沖禎介】より

…1901年北京に行き,東文学舎,文明学堂などで教鞭をとる。日露戦争開始とともに北京公使館付武官の求めに応じ,特殊任務班員として横川省三とともにチチハル付近に潜入,鉄道橋梁爆破の直前,4月11日ロシア軍に捕らえられ,横川とともにハルビン郊外で銃殺刑に処せられた。【原田 勝正】。…

※「横川省三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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