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沖縄の戦い おきなわのたたかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

沖縄の戦い
おきなわのたたかい

第2次世界大戦中,日米最後の離島戦闘。日本軍は牛島満中将指揮下の第 32軍 (9万 5000人) と,太田実少将を司令官とする海軍部隊で沖縄を守備していたが,1945年4月1日,チェスター・W.ニミッツ大将指揮下に 1300隻の艦艇を率いる6万人のアメリカ軍が嘉手納 (かでな) 海岸に上陸,日本軍無抵抗のまま橋頭堡を確保。以後サイモン・B.バックナー・ジュニア中将を中心とするアメリカ陸軍第 10軍が沖縄進攻作戦 (作戦名は Iceburg) を遂行。4月4日,首里を中心とする日本軍防衛線で戦闘が起こり,4月7日には 355機の日本特攻機,340機の通常型機による空襲とともに,戦艦『大和』が巡洋艦『矢矧 (やはぎ) 』,駆逐艦8隻を随伴して沖縄海面に出撃したが,『大和』はアメリカ艦載機の攻撃を受けて沈没。5月3日から4日にかけて首里前面において第 32軍は総反撃に出たが失敗。5月 11日から 31日にかけてアメリカ軍が攻勢に出て,南部に退却した日本軍の頑強な抵抗を排除しつつ前進した。6月 23日,牛島中将は参謀長の長勇中将とともに摩文仁 (まぶに) 高地の洞窟司令部で自決,日本守備隊の組織的抵抗は終わった。この戦いで日本軍は航空機約 4000機を失い,7600人が捕虜となり,守備隊は全滅,民間人の死傷者 10万人以上,このなかには「ひめゆり部隊」の犠牲も含まれている。アメリカ軍は艦艇 36隻と航空機 763機を失い,陸軍が戦死 7374人,負傷3万 2056人,海軍が戦死 5000人,負傷 4600人の損害を被った。

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