長勇(読み)ちょういさむ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長勇」の意味・わかりやすい解説

長勇
ちょういさむ
(1895―1945)

大正・昭和時代軍人。明治25年1月19日、福岡市外大川村に生まれる。1916年(大正5)陸軍士官学校、1928年(昭和3)陸軍大学校卒業。1929年参謀本部支那(しな)課に配属され、中国各地の駐在武官となる。1931年、二度に及ぶ少壮将校の秘密結社桜会クーデター計画(三月事件十月事件。いずれも未発)に参加し、十月事件では警視総監に擬せられたという。1937年7月日中戦争おこるや、8月上海(シャンハイ)派遣軍参謀、11月中支那方面軍参謀を兼ねた。大言壮語癖があり、南京(ナンキン)攻略戦の際、独断で軍命令を発し、鎮江(ちんこう)付近において中国軍捕虜30万人を虐殺させたと豪語した。1938年大佐、1939年少将、1945年中将昇進。この間、歩兵第七四連隊長朝鮮)、第二六師団参謀副長(蒙古(もうこ))、南方総軍参謀副長、第一〇師団歩兵団長(チャムス)などを経て、1944年沖縄守備第三二軍参謀長となる。1945年4月上陸のアメリカ軍と戦い、6月23日軍壊滅の際、自決した。

[洞 富雄

『秦郁彦著『昭和史の軍人たち』(1982・文芸春秋)』

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20世紀日本人名事典 「長勇」の解説

長 勇
チョウ イサム

大正・昭和期の陸軍中将



生年
明治28(1895)年1月19日

没年
昭和20(1945)年6月23日

出生地
福岡県

学歴〔年〕
陸士〔大正5年〕卒,陸大〔昭和3年〕卒

経歴
昭和4年歩兵第48連隊中隊長となり、のち参謀本部付で支那課に勤務。軍内革新派桜会の中心人物で、国家改造案の作成委員となる。6年十月事件に参加。その後北京、漢口の駐在を経て、8年台湾歩兵第1連隊大隊長、第16師団参謀となり、日中戦争の勃発で上海派遣軍参謀兼中支那方面軍参謀となる。13年歩兵第74連隊長、14年第26師団参謀長、17年第10歩兵団長、19年沖縄の第32軍参謀長となる。20年中将になるが、6月の沖縄戦で戦死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長勇」の意味・わかりやすい解説

長勇
ちょういさむ

[生]1895.1.19. 三重
[没]1945.6.23. 沖縄
陸軍軍人。 1916年陸軍士官学校,28年陸軍大学校卒業。 29年参謀本部支那課勤務。 31年革新将校として三月事件に参画,首謀者の一人であったが,事件は軍部内で第2次世界大戦後まで秘密にされ,処罰されなかった。その後,上海派遣軍参謀,関東軍司令部付など歴任,44年沖縄防衛軍である第 32軍参謀長となり,45年に中将。同年6月牛島満司令官とともに自決。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長勇」の解説

長勇 ちょう-いさむ

1895-1945 大正-昭和時代前期の軍人。
明治28年1月19日生まれ。昭和5年橋本欣五郎らの桜会結成に参加。翌年革新派将校によるクーデターをくわだて失敗(十月事件)。日中戦争では中支那方面軍参謀,太平洋戦争では第三十二軍参謀長として沖縄戦にくわわり,昭和20年6月23日戦死した。51歳。中将。福岡県出身。陸軍大学校卒。

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367日誕生日大事典 「長勇」の解説

長 勇 (ちょう いさむ)

生年月日:1895年1月19日
大正時代;昭和時代の陸軍軍人。陸軍中将
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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