沖野々村(読み)おきののむら

日本歴史地名大系 「沖野々村」の解説

沖野々村
おきののむら

[現在地名]海南市沖野々

西流する貴志きし川が大きく曲流して向きを北東に変える西側の河岸段丘に立地。貴志川が西へ直進していた時代の名残と思われる。一定の幅をもった谷が西方に開ける。那賀なが郡に属し、西隣の名草なくさ坂井さかい村との間にはかめの川との低い分水界があり、郡界となっている。延久四年(一〇七二)九月五日の太政官牒(石清水文書)石清水いわしみず八幡宮領野上のかみ庄の四至を記して「西限玉乃河并名草郡」とあるが、この玉乃たまの河は現在の亀の川と思われ、沖野々から南の亀の川流域が、野上庄の西限であったことが知られる。

沖野々村
おきののむら

[現在地名]窪川町七里ななさと

柳瀬やなぜ村の西北四万十しまんと川左岸の沖積地にあり、「土佐州郡志」には「東南限柳瀬村、西限大川、北限本在家村、縦五町横三町」とみえる。江戸時代の新田村であるが、村名に関係すると思われる「ヲキノ野」の地名が天正一七年(一五八九)の仁井田之郷地検帳の「陰山之村」分にみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報