デジタル大辞泉 「沢田名垂」の意味・読み・例文・類語 さわだ‐なたり〔さはだ‐〕【沢田名垂】 [1775~1845]江戸後期の国学者。会津藩士。和漢の学に精通し、藩命により「新編会津風土記」の編纂へんさんに従事した。著「家屋雑考」など。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「沢田名垂」の意味・読み・例文・類語 さわだ‐なたり【沢田名垂】 江戸後期の国学者。号は五家園、花圃など。会津藩士。国学を本居大平に学び、藩校日新館の和学師範となる。故実に精しく、和漢の学に精通した。家集「五家園家集」のほか、「家屋雑考」などの著がある。安永四~弘化二年(一七七五‐一八四五) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「沢田名垂」の解説 沢田名垂 没年:弘化2.4.30(1845.6.4) 生年:安永4.4(1775) 江戸後期の国学者,歌人。初名は成祐,蕃。通称,新右衛門。号は五家園,花圃など。会津藩士。安倍井武氏,芝山持豊,本居大平に国学,和歌を学ぶ。藩命により『日新館童子訓』『新編会津風土記』の編纂にかかわる。文化2(1805)年,藩校日新館の和学師範となって学制の整備に功績があった。著書に日本住宅史の概説『家屋雑考』のほか『五家園家集』『和学修行方意見書』などがある。古代,古文に関する造詣が深く,南北朝時代の南朝の無名歌人に仮託した擬作『無名歌集』は,危うく『群書類従』に収められるところで,だまされた塙保己一も賛嘆したという。 (白石良夫) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沢田名垂」の解説 沢田名垂 さわだ-なたり 1775-1845 江戸時代後期の国学者。安永4年4月生まれ。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩士。藩の安部井武氏に,のち京都の芝山持豊(しばやま-もちとよ)に和歌をまなぶ。文化2年藩校日新館の和学師範となり,「新編会津風土記」の編集にあたった。弘化(こうか)2年4月30日死去。71歳。名は正祐。通称は新右衛門。号は五家(五架)園,木隠翁など。著作に「家屋雑考」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例