日本歴史地名大系 「法琳寺跡」の解説
法琳寺跡
ほうりんじあと
[現在地名]伏見区小栗栖北谷町
小堂
、安
毘沙門天像
、此地法琳寺旧跡也」とみえ、江戸時代前期には毘沙門天像を安置した小堂が残っていたようであるが、現在は一帯が畑と竹藪。また「山城名勝志」所載の「法琳寺別当旧記」に「孝徳天皇御願昔時堂塔有
四宇
、三重塔・弥勒堂・薬師堂・斉明天皇ノ御願定恵和尚造立 太元堂」とみえる。寺跡からは奈良時代前期に属する、いわゆる法隆寺式の複弁軒丸瓦と重弧文の軒平瓦が採集され、また当寺の瓦窯とされる
中臣(藤原)鎌足の伝記で藤原仲麻呂編集の「家伝」によれば、山科の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報