法華寺町
ほつけでらまち
[現在地名]東区東桜二丁目
御下屋敷の西、禅寺町の東に位置し、北は舎人町、南は東門前町に至る。町筋の呼名としては、南方の宮出町までをもいう(尾州名古屋御城下之図)。浄土宗の光照院と日蓮宗の一四ヵ寺、および九ヵ所の門前町からなる。町屋となったのは、寛文三年(一六六三)の蓮華寺、同四年の本正寺・寿元寺、寛文年中の本立寺(現昭和区)、享保一〇年(一七二五)の妙泉寺・妙本寺、文化一一年(一八一四)の大法寺、文政一〇年(一八二七)の本成寺各門前で、光照院門前は年代不明(府城志、尾張志)。
法華寺町
ほつけじまち
近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した町。酒田町・新地町の北、上野町の北東に位置し、西は姥神町。文化四年(一八〇七)の江差図(京都大学文学部蔵)に町名がみえる。「蝦夷日誌」(二編)によると横巷十九町の一として法花寺町とみえ、佐平次町から安倍町・坂田町(酒田町)の上(東)、北は法華寺妙見宮。裏町があり、二筋からなる。高台には天満宮と無常堂(火葬場)・地蔵堂がある。また無常堂の坂上は市中商人の板倉が多く建てられており、また畑も多いと記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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