波木井実長(読み)はきい さねなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「波木井実長」の解説

波木井実長 はきい-さねなが

1222-1297 鎌倉時代の武将
貞応(じょうおう)元年生まれ。鎌倉幕府御家人日蓮(にちれん)に帰依(きえ)し,文永11年(1274)日蓮を領地甲斐(かい)(山梨県)身延山にまねき,草庵をたて保護する。弘安(こうあん)4年(1281)出家,日円と号し,草庵を改築して久遠(くおん)寺と命名。日蓮没後,日向(にこう)を久遠寺2世とさだめた。永仁(えいにん)5年9月25日死去。76歳。

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朝日日本歴史人物事典 「波木井実長」の解説

波木井実長

没年:永仁5.9.25(1297.10.12)
生年:貞応1(1222)
鎌倉中期の武士甲斐国(山梨県)の波木井郷領主であり,南部氏出身。文永11(1274)年に日蓮を身延に呼んで保護し,久遠寺を建立。弘安4(1281)年に出家して法名を日円と称した。日蓮の死後,弟子日興と対立し,日向を久遠寺2世と定めた。

(五味文彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の波木井実長の言及

【甲斐国】より

…臨済宗は13世紀の後半,二度にわたって甲斐に流された鎌倉建長寺開山宋僧蘭渓道隆(らんけいどうりゆう)によって基礎が築かれたが,1330年(元徳2)夢窓疎石が笛吹川上流牧荘に恵林寺(塩山市)を,その半世紀後抜隊得勝(ばつすいとくしよう)が塩山のふもとに向嶽寺(同)を建て,ますます繁栄におもむいた。また日蓮は,1274年(文永11)甲斐源氏の一族波木井実長の招きを受けて身延の地に久遠寺(くおんじ)を建てた。 戦国時代の甲斐は武田信虎・信玄(晴信)・勝頼3代による領国統一時代である。…

【久遠寺】より

…日蓮没(1282)後,その遺言により廟所が身延に置かれ,門弟の輪番による廟所への奉仕が制定された。しかし,やがて行われなくなり,日興(につこう)が主としてこれに当たり,日向(にこう)も身延に来て学頭を務めたが,身延の地を寄進した日蓮の檀越(だんおつ)波木井(はきい)実長と日興との間に不和が生じ,日興は88年(正応1)駿河に去ったので,日向が住持=貫首(かんず)となり,身延門流=日向門流の拠点とした。室町時代の貫首日朝は,堂宇を現在地に移し拡充したばかりでなく,その後嗣日意・日伝とともに,各地に身延門流の教線を伸ばし,それまでの波木井氏の氏寺的存在であった久遠寺を日蓮廟所を中心とする霊場寺院化していった。…

【南部氏】より

…中世の陸奥国糠部(ぬかのぶ)郡(岩手県北部から青森県東部一帯の地域)の豪族,近世の盛岡藩主。新羅三郎源義光の子孫で,甲斐源氏の加賀美遠光の子,南部三郎光行にはじまる。その名字の地は甲斐国の南部郷(山梨県南巨摩郡南部町)で,法華宗の開祖日蓮を甲斐国の身延山に招き,その世話をした波木井(はきい)殿,南部実長(日円)はその一族である。1189年(文治5)の源頼朝の奥州遠征に従軍した功によって糠部郡を与えられ,甲斐国から移住したと伝えるが,信じがたい。…

※「波木井実長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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