日興(読み)にっこう

精選版 日本国語大辞典 「日興」の意味・読み・例文・類語

にっこう【日興】

鎌倉時代後期の日蓮宗僧侶。字(あざな)は白蓮。俗姓は大井氏。伯耆房、白蓮阿闍梨と称す。甲斐(山梨県)の人。日蓮六老僧の一人。日蓮没後、身延の波木井実長が廟所の輪番制を廃して日向を住持にせんと図ったのに異を唱え身延を去る。のち駿河国(静岡県)富士郡に移って大石寺を開き、富士派の開祖となる。著書に「開日抄要文」等がある。寛元四~元弘三年(一二四六‐一三三三

にちこう【日興】

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デジタル大辞泉 「日興」の意味・読み・例文・類語

にっこう【日興】

[1246~1333]鎌倉後期の日蓮宗の僧。甲斐の人。通称、伯耆房ほうきぼう白蓮阿闍梨びゃくれんあじゃり六老僧の一人。富士派(日蓮正宗)の祖。日蓮に従い各地に布教。師の没後、身延山を出て富士山麓大石寺たいせきじ本門寺を建立。著「開目抄要文」など。にちこう。

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改訂新版 世界大百科事典 「日興」の意味・わかりやすい解説

日興 (にっこう)
生没年:1246-1333(寛元4-元弘3)

鎌倉時代後期の日蓮宗の僧。日蓮正宗の開祖。伯耆房,白蓮阿闍梨(あじやり)と称す。甲斐国大井氏の出身であるが,駿河国の母方に移り,同国蒲原荘の天台寺院四十九院で出家修学,のち日蓮の弟子となり,四十九院に在住しながら甲斐,駿河,伊豆に師の教えを広めた。日蓮が佐渡に流謫されると,佐渡まで赴き日蓮に仕えた。佐渡から帰ったのちも駿河富士郡の天台寺院の住僧らを弟子とし,彼らも日蓮の教えを広めていった。1279年(弘安2)富士郡熱原(あつはら)において,日興の弟子日秀,日弁を信奉する農民が弾圧された熱原法難のときにも,日蓮の指示を受けながらこれに対処した。82年日蓮が本弟子6人(六老僧)を指定したときもその一人に加えられるほどの高弟であった。同年日蓮が示寂して甲斐身延に廟所が置かれ,弟子たちによる廟所給仕の輪番が定められたが,翌々年にはこれが行われなくなったので,日興は身延に在住するようになり,日向(にこう)とともに身延の経営に当たった。しかし,日蓮を信奉し,日興の信奉者でもあったこの地の波木井(はきい)実長の信仰のあり方にあきたらず,88年(正応1)身延を離れ駿河に移り,南条時光の支援で90年富士郡大石ヶ原に大石(たいせき)寺を開創,98年(永仁6)大石寺近傍の重須(おもす)に本門寺を建立,ここに談所を設け弟子を育成した。同年,かつて日蓮に取り次ぎその自筆本尊を与えた者のリストを作成したが,合計64名におよぶ。日蓮没後はこれを書写して僧俗の信奉者に与えた。その数は190幅を超え,日興の弘通(ぐづう)が盛んであったことを示し,僧俗の信奉者は甲斐,駿河,伊豆,陸奥,佐渡,越後常陸下野相模讃岐など広域にわたっている。日興は他の本弟子5人に反発対立したが,日蓮にならって日華,日目,日秀,日禅,日仙,日乗の6人を第一の弟子とし,のちさらに,日代,日澄,日道,日妙,日郷,日助の6人を指定した。前者を本六人(本六),後者を新六人(新六)と称している。日興の系統を日興門流,富士門流と呼び,大石寺を日目が継ぎ,本門寺を日妙が継承,日妙と争った日代は西山本門寺を開創,この3寺に小泉久遠寺,下条妙蓮寺を加えて富士五山と呼んでいる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日興」の意味・わかりやすい解説

日興
にっこう
(1246―1333)

鎌倉後期の日蓮(にちれん)宗の僧。伯耆房(ほうきぼう)、白蓮阿闍梨(びやくれんあじゃり)と号する。甲斐(かい)(山梨県)の人。もと天台宗の僧で、駿河(するが)(静岡県)蒲原(かんばら)の四十九院(しじゅうくいん)で修学していたが、日蓮の教えに従って改宗し日興と称した。日蓮のもとに付き従い、のちに駿河国をはじめ伊豆・甲斐(静岡・山梨県)を舞台に伝道活動を展開し、教団の勢力を大いに伸長させる。1282年(弘安5)の日蓮入滅にあたっては、本弟子に選ばれ、六老僧の一人として後世に敬われる。その後、身延山(みのぶさん)に営まれた日蓮の墓塔を守る中心的な役割を果たしていたが、領主の波木井実長(はきいさねなが)(1222―1297)と意見があわず、1288年(正応1)日興はついに身延を出て、富士山麓(さんろく)の大石ヶ原に大石(たいせき)寺を開創。領主南条時光(なんじょうときみつ)(1259―1332)・地頭(じとう)石川孫三郎らの援助を受けながら重須(おもす)に本門寺を開いて一門の育成に努めた。のち、その弟子たちを中心として日興門流(富士門流)が形成された。現在の日蓮正宗(しょうしゅう)はこの門流に属する。

[中尾 尭 2017年9月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「日興」の解説

日興

没年:正慶2/元弘3.2.7(1333.2.21)
生年:寛元4.3.8(1246.3.26)
鎌倉後期の日蓮宗の僧。白蓮阿闍梨という。はじめ駿河国蒲原郡(静岡県庵原郡)の天台寺院四十九院の僧であったが,日蓮に帰依し,日蓮の佐渡流罪(1271)の際には島まで同行し,仕えた。赦免後,駿河国富士郡を中心に弘教を行い,同地に日蓮生前最大の教団を創設した。弘安2(1279)年,同地方の農民門徒に対する弾圧事件(熱原法難)が起こるや,身延の日蓮の指示を受けながら先頭に立って対応した。日蓮の死に当たって六老僧のひとりに指名され,身延の日蓮廟所を守ったが,同地の檀那波木井実長の神社参拝を批判して退去。正応3(1290)年,同国富士郡大石ケ原に大石寺を開いた。その信仰態度は謹厳剛直かつ原理主義的で,同じ六老僧の柔軟寛容な日向とは対照的であった。なお,大石寺は現在日蓮正宗の総本山であり,近年に起こった宗門との分裂までは創価学会の本山でもあった。<参考文献>堀日亨『富士日興上人詳伝』

(佐藤弘夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日興」の解説

日興 にっこう

1246-1333 鎌倉時代の僧。
寛元4年3月8日生まれ。日蓮門下六老僧のひとり。天台宗から改宗して日蓮につかえ,佐渡の配流先にもしたがう。日蓮の死後,信仰上の対立から甲斐(かい)(山梨県)身延山をさり,駿河(するが)に大石寺,本門寺を創建した。日興(富士)門流の祖とされる。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年2月7日死去。88歳。甲斐出身。俗姓は大井。通称は白蓮阿闍梨(びゃくれんあじゃり)。号は伯耆(ほうき)房,常在院。著作に「安国論問答」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日興」の意味・わかりやすい解説

日興
にっこう

[生]寛元4(1246).3.8. 甲斐
[没]正慶2(1333).2.7. 駿河
鎌倉時代の日蓮宗の僧。富士派 (現在の日蓮正宗 ) の派祖。伯耆阿闍梨,白蓮阿闍梨の称がある。六老僧の一人。師日蓮の没後,同門の日向との対立もあって富士に隠棲,南条時光の後援を受けて大石寺を創立 (1290) ,さらに永仁6 (98) 年には北山本門寺を創立し,多くの弟子を育てた。著書『法華略疏』『富士正義抄』。

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367日誕生日大事典 「日興」の解説

日興 (にっこう)

生年月日:1246年3月8日
鎌倉時代後期の日蓮宗の僧
1333年没

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世界大百科事典(旧版)内の日興の言及

【御義口伝】より

…《就注法華経御義口伝》《日興記》とも称す。1571年(元亀2)の写本が大石寺,要法寺にあり,1654年(承応3),1721年(享保6),1751年(宝暦1)に出版。…

【久遠寺】より

…日蓮没(1282)後,その遺言により廟所が身延に置かれ,門弟の輪番による廟所への奉仕が制定された。しかし,やがて行われなくなり,日興(につこう)が主としてこれに当たり,日向(にこう)も身延に来て学頭を務めたが,身延の地を寄進した日蓮の檀越(だんおつ)波木井(はきい)実長と日興との間に不和が生じ,日興は88年(正応1)駿河に去ったので,日向が住持=貫首(かんず)となり,身延門流=日向門流の拠点とした。室町時代の貫首日朝は,堂宇を現在地に移し拡充したばかりでなく,その後嗣日意・日伝とともに,各地に身延門流の教線を伸ばし,それまでの波木井氏の氏寺的存在であった久遠寺を日蓮廟所を中心とする霊場寺院化していった。…

【駿河国】より

…ところが鎌倉期に日蓮が法華信仰を布教することにより,富士川筋を中心に日蓮宗も発展した。《立正安国論》は岩本の実相寺にこもってまとめられたといわれており,またその弟子日興はとくに駿河と関係が深く,北山の本門寺をはじめとする富士五山などがその教義をうけた。禅宗では臨済宗の影響が大きく,栄西の高弟聖一国師(弁円),大応国師(南浦紹明)はいずれも駿河の出身である。…

【大石寺】より

…大日蓮華山と号す。開山は日興(につこう)。日興は日蓮没(1282)後甲斐国身延の日蓮の廟所を守っていたが,日蓮生前からの檀越(だんおつ)で身延の地を日蓮に提供した波木井(はきい)実長の信仰のあり方を否定して,1288年(正応1)身延を離れて駿河に移り,日蓮以来の檀越南条時光の支援を得て,90年富士郡上条大石ヶ原に大石寺を創建した。…

【日蓮正宗】より

…日蓮系の宗派。日蓮の直弟日興(につこう)を開祖とし,静岡県富士宮市の大石(たいせき)寺を総本山とする。日興は1288年(正応1)身延を離れて駿河に移り,信奉者南条時光の支援をうけて90年富士郡大石ヶ原に大石寺を建て,98年(永仁6)には,大石寺近傍の重須(おもす)に本門寺を創建,門流の拠点とした。…

※「日興」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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