津久井城跡(読み)つくいじようあと

日本歴史地名大系 「津久井城跡」の解説

津久井城跡
つくいじようあと

[現在地名]津久井町根小屋・太井、城山町小倉

相模平野部から山間部に移るところに位置し、東西に延びた標高三七五メートル(比高一八〇メートル)しろ山あるいはたからヶ峰とよばれる孤山にある。相模川が北から東に流れ絶壁をなし、南側麓の斜面に屋敷・厩・馬場などの跡があり、その南を蛭窪ひるくぼ川が流れる。頂上は東丘と西丘に分れ、西丘上に本城があり土塁が残る。ここに家老島崎家の後嗣が文化一三年(一八一六)に建立した「築井古城記」の碑がある。主郭をなすと思われる本城曲輪は東西三〇メートル、南北四〇メートルの平場で西南の縁辺には鉤形に土塁状の地形が残るが、近年の改変の際に削り残された部分という。本城曲輪を囲むように幅一〇メートルほどの帯曲輪があって米曲輪といわれており、本城曲輪の南東には東西二〇メートル、南北一七メートルの広さの土蔵曲輪、さらにその南東には堀切や引橋を間にして太鼓曲輪が存在している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報