浄住寺(読み)じようじゆうじ

日本歴史地名大系 「浄住寺」の解説

浄住寺
じようじゆうじ

[現在地名]金沢市長土塀三丁目

法苑山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。文保二年(一三一八)瑩山紹瑾の母懐観が瑩山の亡き父了閑のために建立したといわれ(元享三年一〇月九日山僧遺跡寺寺置文「洞谷記」・本寺開闢之次第「永光寺中興雑記」永光寺文書)、後世懐観開基を改めて瑩山を勧請開山にしたという(応永二二年三月二八日「明峰派峨山派義絶時訴訟目安」洞谷記末尾付載)。一方、正安三年(一三〇一)建立説(「安楽山産福寺年代記」浄住寺文書)や元亨三年(一三二三)建立説(「永光寺年代記」永光寺文書)もある。

浄住寺
じようじゆうじ

[現在地名]西京区山田開キ町

唐櫃からと越の入口近く、地蔵南方二〇〇メートルに位置する。葉室山と号し、黄檗宗。本尊如意輪観音は鉄牛が購入した天竺仏と伝える。草創に関しては、弘仁年中(八一〇―八二四)嵯峨天皇勅願寺とする説、また野寺常住のでらじようじゆう寺を当寺に擬する説もあるが、いずれも根拠は薄い。やや確実と考えられる「感身学正記」によれば、弘長年間(一二六一―六四)中納言葉室定嗣が出家して定然と号し、奈良西大寺の叡尊を請じて隠棲したによるとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報