浅尾藩(読み)あさおはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅尾藩」の意味・わかりやすい解説

浅尾藩
あさおはん

備中(びっちゅう)国(岡山県)の外様(とざま)藩。藩主蒔田(まいた)氏。初代広定(ひろさだ)は生国尾張(おわり)、豊臣(とよとみ)秀吉に仕えて1万石を領したが、関ヶ原戦いのとき石田三成(みつなり)方に加担、敗れて高野山(こうやさん)に蟄居(ちっきょ)、1603年(慶長8)浅野幸長(よしなが)のとりなしで徳川家康に仕え、備中、河内(かわち)、山城(やましろ)、摂津のうち7郡で1万16石を賜う。2代定正のとき3000石、3代定行のとき1500石をそれぞれ弟に分知(ぶんち)したが、加増され7700石余の旗本となる。12代広孝のとき1863年(文久3)万石並みの軍役負担を条件に大名に復し、備中浅尾総社(そうじゃ)市)に陣屋を置き、明治維新に至る。

柴田 一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅尾藩」の意味・わかりやすい解説

浅尾藩
あさおはん

江戸時代末期,備中国 (岡山県) 吉備郡総社地方を領有した譜代小藩。慶長5 (1600) 年関ヶ原の戦いに西軍に参加したが,旗本に取立てられた蒔田氏が,文久3 (1863) 年1万石を賜わって立藩,以後廃藩置県にいたる。江戸城菊間詰。

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デジタル大辞泉プラス 「浅尾藩」の解説

浅尾藩

備中国、浅尾(現:岡山県総社市)に陣屋を置いた、譜代の小藩。藩主は蒔田(まいた)氏。

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世界大百科事典(旧版)内の浅尾藩の言及

【備中国】より

… 関ヶ原の戦直後に立藩したものに浅尾,足守,庭瀬の諸藩がある。浅尾藩は賀陽郡浅尾(総社市)に陣屋をもつ1万石の外様小藩で,1600年新封された蒔田(まいた)広定が初代藩主で,2代以降は分知して旗本となり,1863年(文久3)広孝のとき1万石に高直しされて諸侯に列して立藩した。なお蒔田氏は参勤交代をしない定府大名である。…

※「浅尾藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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