日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅田彰」の意味・わかりやすい解説
浅田彰
あさだあきら
(1957― )
経済学者、社会思想研究者。神戸市に生まれる。1979年(昭和54)京都大学経済学部卒業。1981年同大学院経済研究科博士課程中退。同大学人文科学研究所助手を経て、1989年(平成1)より同経済研究所助教授。2008年より京都造形芸術大学大学院長、のち同大学院学術研究センター所長。
1983年『構造と力』を出版。同書は構造主義とポスト構造主義の思想を一貫したパースペクティブのもとに再構成し、思想史のなかに位置づけようという野心作であった。この種の本としては異例の大ヒットとなり、中沢新一の『チベットのモーツァルト』とともに、いわゆる「ニュー・アカデミズム」ブームのきっかけとなる。この本が広く読まれたのは偶然ではない。それまでは、ロラン・バルトやクロード・レビ・ストロース、ミシェル・フーコーなどの思想が単独あるいは断片的に紹介されることはあっても、それらを互いに連関させながら思想史のなかに位置づけて、批評的に読むことはほとんど行われてこなかった。つまり新奇な思想の断片的輸入でしかなかった。それを構造主義からジャック・デリダの脱構築の哲学、あるいはジル・ドルーズとフェリックス・ガタリのラカン派精神分析的思考までを交通整理し、俯瞰(ふかん)して提示した。『構造と力』はいわば知の見取り図として受容された。
翌1984年さまざまな雑誌に発表したエッセイや対談などを集めた『逃走論』を刊行。「パラノからスキゾへ」ということばは流行語となる。パラノとはパラノイア(偏執狂)のことであり、特定の価値観やものの見方、考え方に固執する人間、スキゾとはスキゾフレニア(統合失調症)を意味するが、物事に執着しないタイプの人間をいう。浅田はドルーズ/ガタリやマルクスなどのテキストを、正面から一点集中的に読むのではなく、スキゾ的に多面的に読むように挑発した。
浅田自身もパラノ的に一貫した仕事をすることを巧妙に避けており、そもそも『構造と力』からして、雑誌に発表したいくつかの論文を加筆、修正して再構成したものであるし、その後もほとんどの著作は対談、鼎談(ていだん)、対談集などの形態をとっている。
浅田の師の一人である数学者の森毅(もりつよし)(1928―2010)が『世話噺数理巷談(さろんのわだいにすうがくはいかが)』(1985)で指摘しているように、浅田の本領は編集において発揮される。一見、まるでつながりがないようにみえるものを関連づけ、全体のなかに位置づけ、新たな光をあてる。これまでに『GS』『季刊思潮』『批評空間』『インターコミュニケーション』『Any』シリーズといった雑誌・書籍の編集にかかわっている。
[永江 朗 2018年6月19日]
『『構造と力――記号論を超えて』(1983・勁草書房)』▽『森毅著、浅田彰編『世話噺数理巷談――森毅対談集』(1985・平凡社)』▽『『20世紀文化の臨界』(2000・青土社)』▽『『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』(ちくま文庫)』▽『『ヘルメスの音楽』(ちくま学芸文庫)』▽『『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)』