フーコー(読み)ふーこー(英語表記)Jean Bernard Léon Foucault

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フーコー」の意味・わかりやすい解説

フーコー(Michel Foucault)
ふーこー
Michel Foucault
(1926―1984)

フランスの哲学者。構造主義の代表者の一人とされる。ポアチエで生まれ、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)で学ぶ。数年間にわたり精神医学を中心に医療の理論と実状を研究調査し、パリ大学バンセンヌ分校(現、パリ第八大学)教授を経て、1970年よりコレージュ・ド・フランス教授。

 歴史、とくに思想史(イストアール・デ・ジデー=諸観念の歴史)について非連続の視点を主張、その方法考古学アルケオロジー)とよぶ。アルシーフ(集蔵体)とは言表(エノンセ)、言説(ディスクール)の総体というよりは、それらを成立させる規則のシステムであり、匿名(とくめい)性、自律性、示差的分散の特質を示す。

 まず『狂気の歴史』(1961)では狂気が理性から、異常が正常から分離、隔離され、排除される過程が、『臨床医学誕生』(1963)では医学的ディスクールについて、とくに18世紀後半から半世紀の間におこった変動=切断を示す変換が扱われる。ついで『言葉と物』(1966)では、人間諸科学――言語学・経済学・生物学について「考古学」が試みられ、同時にヒューマニズムの可能性が問われる。『知の考古学』(1969)に至って、知(サボアール)が総体的に問われ、科学との連関を示すエピステーメー、考古学という方法そのものが批判的に問い直される。コレージュ・ド・フランスの就任講義『言語表現(ディスクール)の秩序』(1970)を経て、著作はやがて『監獄の誕生』(1975)、『性の歴史』(1976~)の未完の大著として展開する。

[池長 澄 2015年6月17日]

『神谷美恵子訳『臨床医学の誕生』(1969/新編集版・2011・みすず書房)』『中村雄二郎訳『知の考古学』(1970/新装新版・2006・河出書房新社/河出文庫)』『中村雄二郎訳『言語表現の秩序』(1972/改訂新装版・1995・河出書房新社)』『渡辺一民他訳『言葉と物』(1974・新潮社/ちくま学芸文庫)』『田村俶訳『狂気の歴史』(1975・新潮社/ちくま学芸文庫)』『田村俶訳『監獄の誕生』(1977・新潮社)』『田村俶他訳『性の歴史』全3巻(1986、1987・新潮社/ちくま学芸文庫)』『ミシェル・フーコー著、豊崎光一他訳『これはパイプではない』(1986・哲学書房/ちくま学芸文庫)』


フーコー(Jean Bernard Léon Foucault)
ふーこー
Jean Bernard Léon Foucault
(1819―1868)

フランスの実験物理学者。パリ生まれ。生来、身体が弱く家庭教師について勉強。初め医者を目ざしたが断念し、フィゾーと知り合って物理学に向かった。機械工作の特技を生かし、科学雑誌に投稿し、自宅で物理学の実験研究を行う。1853年パリ天文台の物理学担当の職につき、1865年科学アカデミー会員。

 フィゾーとともに、太陽のダゲレオタイプ写真を初めて試みたほか、光の波動説と粒子説についての決定実験として、アラゴの提起した空気中と水中とでの光の速さの比較実験を行い、空気中のほうが速いという波動説を支持する結果を1851年に出した。同年からフィゾーとともに光速度の測定を始め、その後ひとりで改良を行い、1862年には、回転鏡を使って秒速29.8万キロメートルという精確な値を出すことに成功した。これに関連して振り子に関心をもち、振動面の不変に着目して、振動面の見かけの回転が地球の自転の現れであることを証明した。1851年パリのパンテオンで67メートルの振り子でデモンストレーションを行った。ジャイロスコープの発明も知られる。

 天文学に関連しては、反射望遠鏡のためにガラス銀めっきの方法を開発、これに関連して、レンズ反射鏡の曲面をテストし、収差を補正するための方法である「ナイフ・エッジテスト」を考案したことも大きな功績である。そのほか、フーコーの渦(うず)電流の発見という業績もある。

[高田紀代志]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フーコー」の意味・わかりやすい解説

フーコー
Foucault, Michel

[生]1926.10.15. ビエンヌ,ポアティエ
[没]1984.6.25. パリ
フランスの哲学者。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) 卒業。 1960年博士号を取得,1968年パリのバンセンヌ大学教授,1970年コレージュ・ド・フランス教授。レビ=ストロースと精神分析学の影響のもとで,科学史,思想史の認識論の分野を開拓,西欧文明の歴史における思考形式の構造の変遷を探る。主著『精神病とパーソナリティ』 Maladie mentale et personnalité (1954) ,『古典時代における狂気の歴史』 Histoire de la folie à l'âge classique (1961) ,『言葉と物』 Les Mots et les choses (1966) ,『知の考古学』L'Archéologie du savoir (1969) ,『監獄の誕生』 Surveiller et punir. Naissance de la prison (1975) 。

フーコー
Foucauld, Charles Eugène, Vicomté de

[生]1858.9.15. ストラスブール
[没]1916.12.1. ホガル山地,タマンラセト
フランスの軍人,聖職者。軍人としてアルジェリアに渡り,1882年退官してモロッコを探検し,『モロッコ再認』 Reconnaissance au Maroc (1888) を著わした。 86年キリスト教の道に入り,90年トラピスト会修道士。 97年隠者となり,エルサレムのクララ会修道院で下僕となった。 1901年フランスで司祭となり,アルジェリアに戻り,トゥアレグ語を習得して文法書と辞典を著わした。高潔な人格はイスラム教徒から尊敬されたが,第1次世界大戦中の原地民の反乱で殺された。フランスでは 19年に植民地での布教を後援する「フーコー会」 Association Charles de Foucauldが,33年には彼の遺志を継ぐイスラム教徒への布教団体「イエズスの小さき兄弟会」 Petits Frères de Jésusが創立された。

フーコー
Foucault, Jean-Bernard-Léon

[生]1819.9.18. パリ
[没]1868.2.11. パリ
フランスの物理学者。初め医者であったが,アルマン・イポリット・ルイ・フィゾーと知り合って物理学の研究に転じた。フィゾーの歯車の方法による光速度の測定に協力し,その後,装置を改善して精度を高めた。 1851年「フーコーの振り子」により地球の自転を実証。その功績でロイヤル・ソサエティからコプリー・メダルを受賞すると同時に,パリ天文台の研究員に任命された (1855) 。 1854年水中の光速度を測定し,物質の屈折率と光速度の関係を示して光の波動説をより確定的なものとした。 1855年渦電流 (フーコー電流) を見出した。ほかに望遠鏡に用いる大口径の反射鏡の表面の精度試験法を考案した (1859) 。

フーコー
Foucaux, Philippe Édouard

[生]1811
[没]1894
フランスのインド学者,チベット学者。 E.ビュルヌフの弟子。インド学のためにチベット学を役立てた人。コレージュ・ド・フランスで 1842年以来チベット語を講義した。 47~48年『方広大荘厳経』 Lalitavistaraのチベット語訳"Rgya-tcher-rolpa"の原典と,そのフランス語訳を発表,さらに 84~92年サンスクリット語原典からの翻訳を刊行した。 I.ミナーエフと S.ジュリアンの協力を得て『翻訳名義大集』 Mahāvyutpattiを校訂出版した。著書"Grammaire de la langue tibétaine" (1858) ,"Doctrine des Bouddhistes sur le Nirvāṇa" (64) 。

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