改訂新版 世界大百科事典 「思想史」の意味・わかりやすい解説
思想史 (しそうし)
もろもろの学問の学説史や,文学史,芸術史など,個別分野の諸思想の歴史に対して,それらを横断してなんらかの全体的な思想の動向,様式,構造などをとらえる歴史記述をいう。しかし,対象となる〈思想〉についての考え方や歴史記述の方法によって,思想史の概念も多義的となる。
全体史的な思想の歴史が探求の対象となるについては,西欧の18世紀以降,人間精神の〈進歩〉〈発展〉という観念の形成がその地盤をつくった。そして,人間の幸福(社会的現実)と精神の発展を相関させながら観念(イデー)の歴史をとらえる見方が生まれた(フランス啓蒙主義など)。とくにドイツで,ヘルダーやカントらが歴史を超越的な人間精神の発展史ととらえ,ヘーゲルが現実と観念とを絶対精神(理念)の自己顕現とみる見方を確立すると,もろもろの思想を時代精神として全体史的・統一的にとらえる見方がひろがった。こうして,諸思想を横断して,主導的観念(たとえば歴史的理念,全体的精神,自由等々)の発展の諸相を内在的に記述する理念史Ideengeschichteあるいは精神史Geistesgeschichteとしての思想史が生まれた。
ディルタイは,精神的諸現象を生の構造連関から了解する精神科学を提唱し,この立場から,生の客観化された表現としての歴史,文化を重視して,精神史探求に哲学的基礎を与えた。また,文化を精神の所産とみて探求するブルクハルトやホイジンガ,またランプレヒトの文化史という視点も,あるいは諸観念の連鎖をとらえるラブジョイの思想史(観念史)history of ideasも広い意味での精神史的思想史に属する。一方20世紀に入って,思想を環境に制約されるとみる実証主義的視点や,思想を物質的生活(下部構造)に規定されるイデオロギー(上部構造)とみるマルクス主義の視点がひろがると,思想史を社会史的過程と関連させて記述する社会史的思想史の探求が生まれた。それは,意識の諸形態を現実の社会との構造的連関において全体史的にとらえるもので,知識社会学的探求とも深く結びついて,旧来の哲学的問題設定を根底から覆すことになった。
しかし,S.フロイトの精神分析を社会探求に結びつける視点が生まれると,上部構造と下部構造を直結するような社会史的思想史は批判され,社会心理学的視点を加えた思想それ自体の〈社会史〉としての思想史も構想されるようになる。そしてさらに,1960年代に入って,M.フーコーが,旧来の全体史的な思想史(精神史や社会史的思想史)の哲学的,認識論的土台を根底的に批判して,もろもろの思想の土台である〈言説〉の在り方(編成)を,社会的,政治-権力的人間事象について解明する新しい構造論的思想史の視座をひらいた。こうして,現代では,思想史は,単なる歴史ではなく,新しい思考様式(哲学)ともなりつつある。
執筆者:荒川 幾男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報