日本歴史地名大系 「浅間村」の解説
浅間村
あさまむら
松本市街地の東北、
天正検地で浅間郷六二三石三斗二升と初めて高付けされ、慶長一九年(一六一四)の安曇筑摩両郡御改惣寄帳には浅間村八六五石二斗一升八合六勺八才とあり、郷から村に変わっている。寛永三年(一六二六)原村と水汲村が浅間村から高分れし、慶安四年(一六五一)検地では浅間村は八二〇石九斗であった。「信府統記」に「御朱印高四百四石九斗七升三合」とあり、享保九年(一七二四)当時の石高は七三三石七斗六升一合六勺、寛文年間(一六六一―七三)の水田は三六町二段七畝、畑地は七町八段二畝一八歩である。
浅間村
あさまむら
浅間村
あざまむら
浅間村
あざまむら
浅間村
あさまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報