浜名橋(読み)はまなのはし

精選版 日本国語大辞典 「浜名橋」の意味・読み・例文・類語

はまな‐の‐はし【浜名橋】

  1. 浜名湖から遠州灘に注ぐ浜名川にかかっていた橋。明応七年(一四九八)の大地震で今切(いまぎれ)口ができたことによって橋はなくなった。歌枕
    1. [初出の実例]「橋は あさむづの橋。長柄の橋。あまびこの橋。はまなのはし」(出典:枕草子(10C終)六四)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「浜名橋」の解説

浜名橋
はまなのはし

古代東海道に架けられた橋。新居町を流れた旧浜名川に架けられていたとされるが、浜名湖北部の引佐細江いなさほそえ付近に比定する説もある。古代以来の交通の要衝で、多くの歌に詠込まれた歌枕としても名高い。「三代実録」元慶八年(八八四)九月一日条によれば、「遠江国浜名橋」は長さ五六丈・広さ一丈三尺、高さ一丈六尺で、貞観四年(八六二)に修造されたが、二〇余年を経て壊れたため、元慶八年に遠江国正税一万二千六四〇束をもって改作することとなった。平安時代中・後期頃、遠江国の受領国司は功過定で浜名橋の公文(公文書)について審査されることになっていた(二中歴)

東海道の名所として多くの歌人に詠まれるとともに、「更級日記」「枕草子」「十六夜日記」および多くの紀行文などに登場する。「能因歌枕」に遠江国の歌枕として「はまなのはし」がみえる。永観元年(九八三)源兼澄が「しほみてるほとはゆきかふたひひとやはまなのはしとなつけそめけん」と詠んでいる(兼澄集)。「能宣集」には「はるのくるみちやはまなのはしならんけふもかすみのたちわたりつゝ」、「夫木抄」には承保二年(一〇七五)に遠江守となった藤原為房が詠んだ「都にてききわたりしにかはらぬははまなのはしの松のむらたち」などの歌が載る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の浜名橋の言及

【遠江国】より

…災害はまた麁玉河(天竜川)の氾濫によってもしばしばもたらされ,761年(天平宝字5)の大決壊を修理した天宝堤は,今もそのなごりを浜北市にとどめている。遠江国を象徴する浜名湖には浜名橋がかけられ,884年(元慶8)には大規模な改作の行われたことが《日本三代実録》に見える。また浜名湖の〈引佐細江〉などは《万葉集》にみえ,伝空海作《遠江浜名淡海図》(漢文)には平安初期の姿が活写されている。…

※「浜名橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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