菅原孝標女(読み)すがわらのたかすえのむすめ

精選版 日本国語大辞典 「菅原孝標女」の意味・読み・例文・類語

すがわら‐の‐たかすえ‐の‐むすめ【菅原孝標女】

平安中期の女流文学者、歌人。父孝標は道真五世の孫、母の藤原倫寧(ともやす)女は、「蜻蛉日記」の作者である道綱母異母妹。三二歳のとき祐子内親王に仕え、三三歳で橘俊通と結婚。夫の死後、一三歳で父に従って上総国から上京して以来の生涯を回想した「更級日記」を書いた。また、「浜松中納言物語」「夜の寝覚」などの作者と目される。寛弘五年(一〇〇八)生。

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デジタル大辞泉 「菅原孝標女」の意味・読み・例文・類語

すがわら‐の‐たかすえのむすめ〔すがはら‐たかすゑのむすめ〕【菅原孝標女】

[1008~?]平安中期の女流文学者。父孝標は道真の玄孫。母は藤原倫寧ともやすの娘で、道綱母の異母妹。30歳を過ぎて祐子内親王に出仕、橘俊通の妻となった。生涯を回想的に描いた「更級さらしな日記」があり、「浜松中納言物語」「夜の寝覚ねざめ」の作者ともいわれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「菅原孝標女」の意味・わかりやすい解説

菅原孝標女
すがわらのたかすえのむすめ
(1008―?)

平安中期の女流文学者で『更級(さらしな)日記』の作者。実名は不明。父孝標は右大臣菅原道真(みちざね)5世の孫で、代々学問の家柄であったが、彼のみは大学頭(だいがくのかみ)、文章博士(もんじょうはかせ)の顕職から除かれ、わずかに受領(ずりょう)として上総介(かずさのすけ)、常陸(ひたち)介を歴任するにとどまった。母は藤原倫寧女(ともやすのむすめ)、『蜻蛉(かげろう)日記』作者(藤原道綱母)の異母妹にあたる。少女期を父の任国上総(千葉県中央部)で過ごし、物語世界への憧憬(しょうけい)を培われた。13歳のおりに上京、以後、夢見がちな文学少女として成長していく。32歳で後朱雀(ごすざく)天皇の皇女祐子(ゆうし)内親王家に出仕したが、翌年橘俊通(たちばなのとしみち)と結婚、一子仲俊をもうけた。34歳のおり、夫の下野(しもつけ)国(栃木県)赴任に同行せず、再出仕、源資通(すけみち)との交流も生まれた。結婚生活を経るなかで、しだいに現実に目覚めたが、一方、物詣(ものもう)でに熱中するなど生活上の安定は得ていたらしい。その夫とも死別し、晩年は子供とも離れて孤独の生活を送ったらしい。『更級日記』のほか、『夜の寝覚(ねざめ)』『浜松中納言(ちゅうなごん)物語』などが彼女の作として伝えられる。

[多田一臣]

『津本信博著『更級日記の研究』(1982・早稲田大学出版部)』

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朝日日本歴史人物事典 「菅原孝標女」の解説

菅原孝標女

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:寛弘5(1008)
平安時代の歌人,作家。父の孝標は道真の5代の直系。母は藤原倫寧の娘で,『蜻蛉日記』作者藤原道綱母の異母妹。10歳のとき,父の任国である上総に下向。継母(大弐三位の姪)や姉の影響で『源氏物語』にあこがれ,4年後に帰京後も物語に耽溺し,『源氏物語』の登場人物である夕顔や浮舟のような人生を夢想した。30歳をすぎたころ,後朱雀天皇の皇女裕子内親王家に出仕したが,すぐに退出して橘俊通と結婚し,物語と現実の違いを痛感した。のちに再出仕して源資通などと和歌のやりとりに興じる機会を持ったりもした。2児の母となったころからそれまで無関心だった信仰に熱心になり,しばしば物詣に出かけたが,康平1(1058)年に夫を病で失い,阿弥陀来迎の霊夢を見たことだけを頼りに晩年を迎えたという。そのころ,自伝的日記文学である『更級日記』を執筆。そこには,前半生の物語耽溺と後半生の神仏への傾倒を主題に自らの人生への愛惜が綴られており,当時の『源氏物語』の享受や民間信仰の様子を伝える興味深い資料であるともに,田舎育ちの一女性の,人生の私的な回想という点で,それまでの日記文学に例をみない画期的な作品となっている。また物語『みづから悔ゆる』『朝倉』(現存しない)の作者と伝えられるほか,『夜の寝覚(夜半の寝覚)』『浜松中納言物語』の作者とする説も有力であり,物語作者として活躍したことが推測される。その和歌は『新古今集』以下の勅撰集に十数首が入集している。

(山本登朗)

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改訂新版 世界大百科事典 「菅原孝標女」の意味・わかりやすい解説

菅原孝標女 (すがわらのたかすえのむすめ)
生没年:1008(寛弘5)-?

平安時代の女流文学者。父孝標は菅原道真の5世孫。母は藤原倫寧(ともやす)の娘で,《蜻蛉(かげろう)日記》の作者道綱母の異母妹。10歳の1017年(寛仁1)父の上総介赴任に伴われて下国,1020年帰京,その後《源氏物語》を耽読して夢多き娘時代を過ごした。32歳の39年(長暦3)祐子内親王家に出仕したが,宮仕え生活になじまずときおり出仕する程度であった。33歳,橘俊通と結婚して長男仲俊ほか女子をもうけ,地道に家庭生活の安穏を願ってしばしば社寺に参詣したが,51歳の58年(康平1)夫と死別し,孤独な晩年であった。《更級日記》は13歳から51歳までの人生の推移を回想した日記であり,夢と信仰との相克を哀切に語る。《夜半の寝覚》《浜松中納言物語》ほかの物語の作者とも伝えられる。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「菅原孝標女」の意味・わかりやすい解説

菅原孝標女【すがわらのたかすえのむすめ】

平安後期の女性文学者。父孝標は菅原道真5世の孫で,《蜻蛉(かげろう)日記》の作者藤原道綱母は伯母に当たる。文学的な家系と環境の中に育ち,娘時代から物語を溺愛し,とりわけ《源氏物語》を耽読した。そのさまは,自らの一生を回想した《更級(さらしな)日記》にくわしい。《夜半の寝覚》《浜松中納言物語》および散逸した物語《自ら悔ゆる》《朝倉》の作者とも伝えられている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菅原孝標女」の意味・わかりやすい解説

菅原孝標女
すがわらのたかすえのむすめ

[生]寛弘5(1008)
[没]?
平安時代中期の女流日記文学,物語作者。父の菅原孝標は道真の玄孫。母は藤原倫寧 (ともやす) の娘。 13歳までの4年間を父の任地である上総で暮したが,同行していた継母は後一条院の女房で歌人の上総大輔 (たいふ) である。孝標女はこの継母や姉から聞いた『源氏物語』の話によって,物語への趣味をうえつけられた。長暦3 (1039) 年後朱雀天皇の祐子内親王に出仕,長久1 (40) 年橘俊通と結婚し仲俊を産んだ。康平1 (58) 年夫に死別。『更級 (さらしな) 日記』はその頃書かれたと推定される。なお藤原定家が『更級日記』に付した奥書によると『みつの浜松』 (『浜松中納言物語』) ,『よはのねざめ』 (『夜の寝覚』) ,『あさくら』『みづからくゆる』などの作者であるという。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「菅原孝標女」の解説

菅原孝標女
すがわらのたかすえのむすめ

1008~?

平安時代の日記文学作者・歌人。「更級(さらしな)日記」の作者。父孝標は道真5世の嫡孫。母は藤原倫寧(ともやす)の女で,藤原道綱の母の異母妹。10歳から13歳まで父の任地上総国で育つ。姉や継母上総大輔の影響で物語に関心をもつ。上京後「源氏物語」を耽読し,光源氏のような貴公子との出会いを願う。32歳で祐子(ゆうし)内親王家に出仕。33歳で橘俊通(としみち)と結婚。子は仲俊のほかにもいたらしい。51歳で夫と死別し,以後日記を書きはじめる。「浜松中納言物語」「夜の寝覚(ねざめ)」の作者とも伝えられる(「更級日記」定家本勘物)。「新古今集」以下勅撰集に14首ほど入集。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅原孝標女」の解説

菅原孝標女 すがわらの-たかすえの-むすめ

1008-? 平安時代中期の日記作者,歌人。
寛弘(かんこう)5年生まれ。母は藤原倫寧(ともやす)の娘。藤原道綱の母の姪(めい)。「更級(さらしな)日記」の作者。32歳で祐子(ゆうし)内親王につかえ,33歳で橘俊通(たちばなの-としみち)と結婚,51歳で死別した。「夜半の寝覚」「浜松中納言物語」の作者ともつたえられる。歌は「新古今和歌集」などにのこる。
【格言など】(「源氏物語」をえた喜びにくらべれば)后の位も何にかはせん(「更級日記」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「菅原孝標女」の解説

菅原孝標女
すがわらのたかすえのむすめ

1008〜?
平安中期の女流作家
『更級日記 (さらしなにつき) 』の作者として知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の菅原孝標女の言及

【更級日記】より

…1巻。作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。作者は上総介であった父孝標とともに東国に過ごし,1020年(寛仁4),任期満ちた父とともに帰京の途につくが,その年から起筆し,59年(康平2)ころまでのことを記しているので,その年以後まもなく成立したと考えられる。…

【浜松中納言物語】より

…平安後期の物語。作者は菅原孝標女(たかすえのむすめ)か。原名は《御津の浜松》で5巻現存,首巻散逸。…

【夜半の寝覚】より

…現存本の題名は《寝覚》または《夜の寝覚》。作者は菅原孝標女(たかすえのむすめ)と伝えるが,確かでない。現存本は5巻または3巻に分かつが,中間および巻尾(続編)に欠巻がある。…

※「菅原孝標女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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