出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(園田豊)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…しかし,もともとアメリカ人であったレスターは,その後イギリス映画界にとどまらず,彼のもっとも尊敬するアメリカ喜劇の王様バスター・キートンにオマージュをささげた《ローマで起った奇妙な出来事》(1966)とともにアメリカに戻った。
[その他のイギリス映画]
イギリス映画を特徴づける主要な傾向として,1950年代以降,世界的に注目され,あるいは〈名物〉となった,いわゆる〈フリー・シネマ〉と〈ハマー・プロ〉の怪奇映画がある。A.コルダが死去し,イーリング撮影所がBBCに売却された56年に,L.アンダーソン,K.ライス,T.リチャードソンによる〈フリー・シネマ〉運動が旗揚げされる。…
… なお,この時期,J.ベルヌ原作,R.フライシャー(1916‐ )監督のディズニー・プロ作品《海底二万哩》(1954)が,インベーダーとも放射能怪獣とも無縁なアドベンチャーSFとして作られている。イギリスでは,B.ゲスト監督のハマー・プロ作品《原子人間》(1955)がヒットした。BBCのテレビドラマの映画化だが,地球にもどった宇宙飛行士が,付着していた宇宙寄生体(?)に侵されてしだいに奇怪な姿になり,病院を脱出して人や獣を襲い,血を吸いつくす。…
…いずれにしても,怪奇映画は50年代のSF映画の台頭につれて影を潜めるが,これは,放射能や科学実験による突然変異としての生物の巨大化(《放射能X》1953,《ハエ男の恐怖》1958,など)や,人間が縮小したため相対的に生物の巨大化と同じパニックに陥る(《縮みゆく人間》1957)といった設定で,つまりはSFがモンスターの肩代りをしたともいえる。
[1960年代以降]
60年代は,毒々しい色彩効果によるエロティシズムとサディズムを加味したイギリスのハマー・プロ作品(テレンス・フィッシャー監督,クリストファー・リー,ピーター・カッシング主演《吸血鬼ドラキュラ》1958,等々)と,一連の〈エドガー・アラン・ポー物〉によって,異常心理がらみの幻想劇という独自のイメージを繰り広げたアメリカのAIP作品(ロジャー・コーマン監督,ビンセント・プライス主演《アッシャー家の惨劇》1960,等々)が活況を呈する一方,フランスではジョルジュ・フランジュ監督《顔のない眼》(1960),ロジェ・バディム監督《血とバラ》(1960)といったポエティックな怪奇幻想の心理劇がつくられたが,もっとも注目すべきはヒッチコックの《サイコ》(1960)という真にエポックを画する恐怖映画が生まれたことで,以後の怪奇,SF,恐怖映画のジャンルは,すべて〈サイコ以後〉の名でくくることも可能なくらい決定的に《サイコ》の,ヒッチコックの影響を受けることになる。ウィリアム・キャッスル監督《第三の犯罪》(1961),《血だらけの惨劇》(1964),ロバート・アルドリッチ監督《何がジェーンに起ったか?》(1962)から1970‐80年代の〈モダン・ホラー・ムービー〉(怪奇的なムードで話を運び,結末のどんでん返しを利かせたものが多い)に至るまで,そうである。…
※「浜辺黒人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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