浦添ようどれ(読み)うらそえようどれ

日本歴史地名大系 「浦添ようどれ」の解説

浦添ようどれ
うらそえようどれ

[現在地名]浦添市仲間

浦添うらそえグスクの北側崖下にある。方音ではウラシーユードゥリ。英祖王が造営したと伝える琉球中山王陵で、史料には極楽ごくらく陵ともみえる。「球陽」によると英祖王は一二六一年に浦添に墓(浦添ようどれ)を造営し、その頃菩提寺として極楽寺を創建している。また「ようとれのひのもん」によると、万暦四八年(一六二〇)秋に尚寧王が修築して一族の遺骨を移葬している。「球陽」尚穆王一七年(一七六八)条によると、同年から清明祭の翌日極楽陵参詣が行われた。なお「ようとれのひのもん」は、平仮名碑文の最末期の形式を伝える史料として貴重である。また間切集成図には浦添旧城の北側に「ようとりの御墓」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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