浮島駅(読み)うきしまのえき

日本歴史地名大系 「浮島駅」の解説

浮島駅
うきしまのえき

東海道下総国の駅。「続日本紀」神護景雲二年(七六八)三月一日条によれば、東海・東山両道の駅使らが利用するため使命繁多となっていることを理由に、浮島駅などの駅馬が一〇疋に加増されている。ただし「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条では五疋。当駅は現千葉市花見川はなみがわ幕張まくはり町の辺りに比定されることがあるが(大日本地名辞書)、遺称地名を欠き、信拠性ありとはいえない。現江戸川区東小松川ひがしこまつがわの小字に浮洲があり、「風土記稿」亀有かめあり(現葛飾区)の項に浮洲明神社がみえ亀戸かめいど(現江東区)吾妻あづま権現社(現墨田区吾嬬神社)を浮洲森と称したとあり、また「大日本地名辞書」所引の「多聞寺縁起」に隅田すだ村の水神を浮島宮といったとあることから、亀有―隅田―東小松川―亀戸を結ぶ地域の一画に置かれていたと推考される。


浮島駅
うきしまのえき

古代の東海道に置かれた駅。「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条に駅馬五疋を備える駅として浮島とみえる。しかし神護景雲二年(七六八)浮島駅は井上いかみ(現市川市)河曲かわわ(現中央区域か)などと同じく、東海道の延長に位置して使命が繁多であるとして駅馬一〇疋を置かれることになっている(「続日本紀」同年三月一日条)。この段階では当駅筋は東海道の支道であるが、宝亀二年(七七一)東海道本道が相模国より陸路で下総国に達することとされ(同書同年一〇月二七日条)井上駅・浮島駅・河曲駅の道筋が本道とされた。延暦二四年(八〇五)さらに本道は井上駅で分岐して相馬そうま郡二駅(茜津駅・於賦駅)を経て常陸に出る路程に変更となり(「日本後紀」同年一〇月二五日条)、当駅より以南の諸駅はふたたび支道の扱いとなる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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