海老村(読み)かいろうむら

日本歴史地名大系 「海老村」の解説

海老村
かいろうむら

[現在地名]真正町海老

浅木あさぎ村の北に位置し、根尾ねお川東岸に沿う平坦地に立地。根尾川の形成した扇状地の末端部にあたる。天正二〇年(一五九二)正月一一日の豊臣秀吉朱印状写(一柳文書)によれば、一柳直盛は本巣郡内海老村で一二九石余ほかを秀吉から安堵された。慶長六年(一六〇一)加納藩領となる。慶長郷帳に村名がみえ、高一二九石余。加納藩家中知行渡方帳(森文書)によれば慶長一七年から数年間は重臣青木可正ほか一名の給地。


海老村
かいろうむら

[現在地名]松代町海老

東にかべ(五八七・六メートル)があり、日の出の遅い村で、北に小屋丸こやまる下山しもやま集落、南に東山ひがしやま集落がある。陽炎の立つ村がなまって海老村となったと伝える。上杉氏時代、春日山かすがやま(現上越市)六日町むいかまち(現南魚沼郡六日町)を結ぶ街道があり、海老より東へ山を直登はち(現十日町市)へ出る道と、東山より赤倉あかくら七通ななとおり(現松之山町)を経て安養寺あんようじ(現十日町市)へ出る道がある。正保国絵図では高六石余。天和三年郷帳では高一一石五斗余、反別山林一反六畝・青苧畑二反一畝余で、漆木八本・家数四。安永九年(一七八〇)新田検地では高四一石九斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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