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清田儋叟 せいた たんそう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清田儋叟 せいた-たんそう

1719-1785 江戸時代中期の儒者。
享保(きょうほう)4年生まれ。伊藤竜洲(りゅうしゅう)の3男。長兄伊藤錦里は経学,次兄江村北海は詩,儋叟は文をもって知られた。父の本姓清田をつぎ,越前(えちぜん)福井藩儒となる。天明5年3月23日死去。67歳。京都出身。名は絢。字(あざな)は元琰,君錦。通称は文興,文平。別号に孔雀楼(くじゃくろう)。著作に「孔雀楼文集」など。
【格言など】嫉(しつ)・妬(と)・媢(ぼう)の三字,倶(とも)に女に従う。然れども婦人の妬(ねた)むは,男子の最よく妬むにしかず(「孔雀楼筆記」)

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

せいだたんそう【清田儋叟】

1719‐85(享保4‐天明5)
江戸中期の儒者。名は絢,字は君錦。儋叟は号。京都の儒者伊藤竜洲の三男に生まれ,父の本姓清田氏を称した。長兄の伊藤錦里仲兄江村北海とともに秀才の三兄弟として聞こえる。青年期,明石藩儒の梁田蛻巌に詩を学んだ。31歳で福井藩に仕えたが,主として京都に住んだ。生来病弱であったため儒者としては見るべき業績を残すことができなかったが,随筆《芸苑談》《孔雀楼筆記》《芸苑譜》は,広い学殖と鋭い批評精神をもって当代の学界や歴史・文学などを論じた,すぐれた読物である。

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大辞林 第三版の解説

せいたたんそう【清田儋叟】

1719~1785) 江戸中期の儒者。京都の人。名は絢、字あざなは君錦、儋叟は号。越前藩儒伊藤竜洲の三男。江村北海は次兄。はじめ徂徠学を修めたが、後に朱子学に転じて越前藩儒となり、文章をよくした。著「孔雀楼筆記」「孔雀楼文集」

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