梁田蛻巌(読み)ヤナダゼイガン

デジタル大辞泉 「梁田蛻巌」の意味・読み・例文・類語

やなだ‐ぜいがん【梁田蛻巌】

[1672~1757]江戸中期儒学者。江戸の人。名は邦美くによしあざな景鸞けいらん山崎闇斎師事朱子学学び、また、仏教神道漢詩文にも通じていた。著「蛻巌集」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「梁田蛻巌」の意味・わかりやすい解説

梁田蛻巌 (やなだぜいがん)
生没年:1672-1757(寛文12-宝暦7)

江戸中期の儒者・漢詩人。名は邦美,字は景鸞,通称は才右衛門。武蔵の人。儒者としての学統は朱子学に属する。1697-1706年(元禄10-宝永3)美濃加納藩に仕えた期間を除いて,中年過ぎまではほぼ江戸にあって民間の儒者として身を立てた。その間に新井白石室鳩巣らと交友を結んだ。1719年(享保4)に明石藩に召し抱えられてからは明石に定住し,その地で没した。詩人としてすぐれ,長寿と相まって,晩年には上方詩壇の大御所的存在として尊敬された。その詩風は生涯を通じてしばしば変化し,通常の日本の詩人と異なり中国の特定の詩論に拘束されることがなかった。著書に《蛻巌集》《蛻巌先生答問書》などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梁田蛻巌」の意味・わかりやすい解説

梁田蛻巌
やなだぜいがん
(1672―1757)

江戸中期の漢詩人。名は邦美(くによし)。字(あざな)は景鸞(けいらん)。江戸に生まれ、中年まで江戸にあって、儒学の教授をもって身をたてた。その間、新井白石(はくせき)と知り合った。1719年(享保4)明石(あかし)藩に儒官として抱えられ、以後没するまで明石に住んだ。人柄は奔放率直で、自己を表現するに足りる詩風を求めて唐詩や宋詩を学んだが、40歳ごろから、既成の型にとらわれず、自由に心情を表現する詩風に開眼した。明石に移ってからは文名高く、長寿と相まって、京坂の詩人たちから深く尊敬された。『蛻巌集』『蛻巌先生答問書』などがある。

[日野龍夫]

『山岸徳平校注『日本古典文学大系89 五山文学集 江戸漢詩集』(1966・岩波書店)』

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朝日日本歴史人物事典 「梁田蛻巌」の解説

梁田蛻巌

没年:宝暦7.7.17(1757.8.31)
生年:寛文12.1.24(1672.2.22)
江戸時代中期の漢学者,漢詩人。江戸の人。名は邦美,字は景鸞,通称は才右衛門。蛻巌,亀毛と号す。旗本の5男に生まれ,11歳で人見竹洞に入門,儒学とともに詩文の才を開かせた。加賀(金沢)藩,美濃(岐阜県)加納藩に儒者として仕えたが,ともに率直な性格が災いして致仕。市井で儒書を講釈,困窮した生活を送った。40歳過ぎて妻子を得,性格も穏やかになり,48歳で播磨(兵庫県)明石藩に出仕。その後はその枠にとらわれない文学観によって,上方芸苑の中心的存在となっていった。<著作>『蛻巌先生文集』<参考文献>徳田武「梁田蛻巌」(『江戸詩人伝』)

(高橋昌彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梁田蛻巌」の解説

梁田蛻巌 やなだ-ぜいがん

1672-1757 江戸時代前期-中期の儒者,漢詩人。
寛文12年1月24日生まれ。梁田毅斎(きさい)の弟。梁田象水(しょうすい)の父。人見竹洞にまなび,新井白石,室鳩巣(むろ-きゅうそう)らとまじわる。奔放不羈(ふき)な性格から諸藩をわたりあるき,享保(きょうほう)4年播磨(はりま)(兵庫県)明石(あかし)藩につかえ,以後定住。変転をかさねながら独自の詩風をきずき,詩豪と称された。宝暦7年7月17日死去。86歳。江戸出身。名は邦美(くによし)。字(あざな)は景鸞(けいらん)。通称は才右衛門。著作に子の象水編「蛻巌集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梁田蛻巌」の意味・わかりやすい解説

梁田蛻巌
やなだぜいがん

[生]寛文12(1672).1.24. 江戸
[没]宝暦7(1757).7.17.
江戸時代中期の朱子学派の儒学者。名は邦美,字は景鸞,通称は新六。山崎闇斎に儒学を学び,新井白石,室鳩巣,三宅観瀾らと交わった。詩文に秀で,加納藩,赤石藩に儒官として仕えた。著書『蛻巌集』 (1742) ,『蛻巌先生答問書』など。

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367日誕生日大事典 「梁田蛻巌」の解説

梁田蛻巌 (やなだぜいがん)

生年月日:1672年1月24日
江戸時代中期の漢学者;漢詩人
1757年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の梁田蛻巌の言及

【儒者】より

…彼らはあるいは大名に仕え,あるいは町に塾を開いた。後の場合,少なくとも京都ではすでに17世紀中にそれで生活可能だったようであり,1706年(宝永3)から江戸で教えた梁田蛻巌(やなだぜいがん)は〈生徒数十人〉で〈衣食粗(ほ)ぼ給(た)〉りたという。しかし幕末に至るまで,それだけでは生活が苦しいのが相場で,同じく漢籍読解力を必須とする医者を兼ねることが少なくなく,大名から扶持を受ける例もある。…

※「梁田蛻巌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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