日本歴史地名大系 「渋川宿」の解説 渋川宿しぶかわしゆく 群馬県:渋川市渋川村渋川宿[現在地名]渋川市 上ノ町・中ノ町・下ノ町高崎城下で中山道と分れて北上し、三国峠を経て越後国に向かう三国街道の宿駅。高崎から金古(かねこ)宿(現群馬郡群馬町)、渋川宿・金井(かない)宿、吾妻(あがつま)川を渡って北牧(きたもく)宿・横堀(よこぼり)宿(現北群馬郡子持村)と続く。さらに東南の総社(そうじや)(現前橋市)方面からきた佐渡奉行街道が当宿で三国街道に合流し、宿駅として、また市場町として繁栄した。金古宿へは二里、金井宿へは二八町(道中方覚書)。慶長一〇年(一六〇五)、東方の梅(うめ)ノ木(き)谷戸から住人を移し、宿が建てられたという(正徳年間「植野堰最初掘立御普請書」武井文書)。元文二年(一七三七)の古来覚書上帳(田部井文書)によると、慶長一八年庄屋岸大学を奉行として町割をし、宿の間数は四町であった。西から上之(かみの)町・中之町・下之町の三町あったが、慶安二年(一六四九)三町に続いて新町(間数二町二五間)が町割された。伝馬役は上・中・下の三町が六斎市の権利と引換に負担した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by