渡辺巳之次郎(読み)ワタナベ ミノジロウ

20世紀日本人名事典 「渡辺巳之次郎」の解説

渡辺 巳之次郎
ワタナベ ミノジロウ

明治・大正期のジャーナリスト 毎日新聞編集主幹



生年
明治2年(1869年)

没年
大正13(1924)年3月19日

出生地
常陸茨城郡見川村翠丘(現・茨城県)

旧姓(旧名)
寺門 巳之次郎

別名
号=緑岡

学歴〔年〕
水戸中学卒

経歴
都新聞を経て明治23年、大阪毎日新聞に入社、東京支局長から本社に戻って36年、編集主幹。この間、26年に同社初代社長、渡辺治没後、その養嗣子となる。また44年に大阪毎日が東京日日新聞を併合すると、東日の主幹も兼務し、大正9年に退任するまで社説を担当して健筆ふるい、特に中国問題と対米外交論で論壇異彩を放った。「孤立的日本の光栄」「有色民族の大不平」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺巳之次郎」の解説

渡辺巳之次郎 わたなべ-みのじろう

1869-1924 明治-大正時代新聞記者
明治2年生まれ。渡辺治(おさむ)の養子。明治22年大阪毎日新聞にはいり,36年編集主幹となる。45年東京日日新聞主幹を兼務。外交問題などに健筆をふるった。大正13年3月死去。56歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身旧姓は寺門。号は緑岡。著作に「孤立的日本の光栄」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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