新撰 芸能人物事典 明治~平成 「渡辺葉子」の解説
渡辺 葉子
ワタナベ ヨウコ
- 職業
- 声楽家
- 専門
- ソプラノ
- 生年月日
- 昭和28年 7月12日
- 出生地
- 福岡県 北九州市八幡区
- 出身地
- 福岡県 北九州市戸畑区
- 学歴
- 東京芸術大学声楽科〔昭和51年〕卒,東京芸術大学大学院中退,ミラノ・スカラ座附属研究所修了
- 経歴
- 福岡市内の開業医の一人娘として育ち、小学生からピアノ、高校時代から小園邦子について声楽を始める。昭和51年東京で開かれた世界マダム・バタフライコンクールで第2位となり、大学院を1ヶ月で中退してミラノ・スカラ座附属研究所に3人目の日本人学生として留学。トレビーゾ、アドリアのそれぞれのコンクールで第1位をとり、53年「道化師」のネッダ役でオペラデビュー。以後イタリアを中心にドイツ、フランス、米国、その他多くの歌劇場に出演し、好評を博す。世界四大歌劇場(イタリア・ミラノのスカラ座、オーストリアのウィーン国立歌劇場、米国のメトロポリタン歌劇場、英国のコベント・ガーデン歌劇場)を日本人で初めて制覇したソプラノとして知られる。55年声楽家レナート・グリマルティと結婚。日本でも60年藤原歌劇団公演「蝶々夫人」でデビュー後、「ラ・ボエーム」「ファウスト」など同団公演に度々主演。平成元年グランドオペラ「カルメン」のメンバーとして来日。6年オーストラリアのアデレードでR.ボニングの指揮の下に「アドリアーナ・ルクブルール」に初挑戦し、新生面を切り開いた。11年「蝶々夫人」の日本公演中に体調不良で降板した後は療養生活を続け、16年亡くなった。
- 所属団体
- 藤原歌劇団
- 受賞
- イタリア声楽コンコルソ・ミラノ大賞〔昭和51年〕,山口県芸術文化賞〔昭和51年〕,ミラノ市ライオンズ賞〔昭和53年〕,北九州市民文化賞〔昭和60年〕 世界マダム・バタフライ・コンクール第2位(第4回)〔昭和51年〕,トレビーゾ国際声楽コンクール第1位〔昭和53年〕,アドリア国際声楽コンクール第1位〔昭和53年〕
- 没年月日
- 平成16年 7月15日 (2004年)
- 家族
- 夫=グリマルティ レナート(声楽家)
- 伝記
- 女は元気!―北九州市の燦めく16人 市川 喜男 著(発行元 講談社 ’94発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報