朝日日本歴史人物事典 「湊長安」の解説
湊長安
生年:天明6?(1786)
江戸後期の蘭方医。名は義胤のち重胤。丹晴堂と号す。長安は通称。陸奥国牡鹿郡(宮城県)湊村生まれ。江戸に出て吉田長淑 の蘭馨堂に,また大槻玄沢の芝蘭堂に蘭方医学を学んだ。文政初年ごろ丹波篠山藩の医官となる。文政5(1822)年長崎に遊学し,楢林栄建,楢林宗建,吉雄幸載,吉雄権之助に従学。翌年シーボルトに入門,高弟として親しく治療法を学んだ。同8年江戸に帰り日本橋石町に居を定め,篠山藩主の医官を勤める傍ら私塾丹晴堂を経営,門弟の指導に当たった。天保8(1837)年ごろから幕府天文台出役として『厚生新編』の翻訳に従事。『至母爾篤筆授略説』『失以勃児杜験方録』『悉之勃爾咄』『丹晴堂随筆』の著訳書があり,いずれも写本で伝わる。
(平野満)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報