湊長安(読み)みなとちょうあん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

湊長安
みなとちょうあん

[生]? 石巻
[没]天保8(1837)
江戸時代後期の蘭方医。江戸に上り,蘭方医吉田長淑に医術を学び,文政6 (1823) 年長崎におもむき,P.シーボルトの門に入り西洋医学を学ぶ。2年後江戸で開業。盛業をきわめ,丹波篠山藩青山侯の熱心な希望で侍医となり,同江戸藩邸に通った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

湊長安 みなと-ちょうあん

?-1838 江戸時代後期の医師。
吉田長淑(ちょうしゅく)らにまなび,丹波篠山(ささやま)藩医となる。文政6年(1823)長崎でシーボルトに入門し,その江戸参府に随行して標本採集をたすけた。8年江戸で蘭方内科を開業。幕府天文台にもつとめた。天保(てんぽう)9年6月7日死去。陸奥(むつ)石巻(宮城県)出身。名は重胤。号は丹晴堂。訳書に「食勃児度(シーボルト)経験方」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

湊長安

没年:天保9.6.9(1838.7.29)
生年:天明6?(1786)
江戸後期の蘭方医。名は義胤のち重胤。丹晴堂と号す。長安は通称。陸奥国牡鹿郡(宮城県)湊村生まれ。江戸に出て吉田長淑 の蘭馨堂に,また大槻玄沢芝蘭堂蘭方医学を学んだ。文政初年ごろ丹波篠山藩の医官となる。文政5(1822)年長崎に遊学し,楢林栄建,楢林宗建,吉雄幸載,吉雄権之助に従学。翌年シーボルトに入門,高弟として親しく治療法を学んだ。同8年江戸に帰り日本橋石町に居を定め,篠山藩主の医官を勤める傍ら私塾丹晴堂を経営,門弟の指導に当たった。天保8(1837)年ごろから幕府天文台出役として『厚生新編』の翻訳に従事。『至母爾篤筆授略説』『失以勃児杜験方録』『悉之勃爾咄』『丹晴堂随筆』の著訳書があり,いずれも写本で伝わる。

(平野満)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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