湛井十二ヶ郷用水(読み)たたいじゆうにかごうようすい

日本歴史地名大系 「湛井十二ヶ郷用水」の解説

湛井十二ヶ郷用水
たたいじゆうにかごうようすい

総社市井尻野いじりの字湛井の高梁たかはし川に設けられた湛井堰から引入れられ、備中地域南東部の平野を潤す県下でも最大級の規模をもつ用水路。十二ヶ郷とは、刑部おしかべ真壁まかべ八田部やたべ三輪みわ三須みす服部はつとり庄内しようない(生石)加茂かも庭瀬にわせ撫川なつかわしよう妹尾せのおの各郷の総称で、現在の総社市から都窪つくぼ清音きよね村・山手やまて村、倉敷市東部および岡山市西部にまたがる地域である。江戸時代には湛井川用水・湛井用水などとよばれ、現在のようによばれるようになったのは、明治三三年(一九〇〇)に関係市村による湛井十二ヶ郷組合が結成されてからである。幹川水路の総延長は約一八キロ、枝川水路は数百キロにも及び、灌漑面積は上記の地域約五〇〇〇ヘクタールに上る、極めて大規模でかつ伝統のある用水である。

井堰および用水の正確な築造年代は不明であるが、十二ヶ郷の村々には平安末期の寿永元年(一一八二)に、妹尾太郎兼康の目論見によって築造されたとする兼康築造説が伝えられている。「平家物語」にその武勇をたたえられた妹尾兼康は妹尾郷に所領をもっていた土豪であったこと、前述伝承に加えて十二ヶ郷用水に関する江戸時代の記録に幾つかその旨の記述がみられること、湛井堰の守護神である井尻野の神社には兼康を祭神とする兼康かねやす神社が祀られていることなどから、この伝承もあながち否定できないと思われる。

すなわち、井堰・溝については、平安初期の「弘仁式」の備中国の項に「修造堰溝料一万束」、平安中期の「延喜式」にも同様に「修造堰溝料一万七千束」の記事がみられることから、国費をもって修築する井堰・溝の存在を知ることができる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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