日本歴史地名大系 「湛井十二ヶ郷用水」の解説
湛井十二ヶ郷用水
たたいじゆうにかごうようすい
総社市
井堰および用水の正確な築造年代は不明であるが、十二ヶ郷の村々には平安末期の寿永元年(一一八二)に、妹尾太郎兼康の目論見によって築造されたとする兼康築造説が伝えられている。「平家物語」にその武勇をたたえられた妹尾兼康は妹尾郷に所領をもっていた土豪であったこと、前述の伝承に加えて十二ヶ郷用水に関する江戸時代の記録に幾つかその旨の記述がみられること、湛井堰の守護神である井尻野の
すなわち、井堰・溝については、平安初期の「弘仁式」の備中国の項に「修造堰溝料一万束」、平安中期の「延喜式」にも同様に「修造堰溝料一万七千束」の記事がみられることから、国費をもって修築する井堰・溝の存在を知ることができる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報