日本大百科全書(ニッポニカ) 「湛若水」の意味・わかりやすい解説
湛若水
たんじゃくすい
(1466―1560)
中国、明(みん)代中期の思想家。字(あざな)は元明、号は甘泉(かんせん)。広東(カントン)省増城県の人。陳白沙(ちんはくさ)(献章)の門人。のちに王陽明(守仁(しゅじん))と邂逅(かいこう)して終生の友情を温め、ともに朱子学を離れて心学路線を歩んだ。湛若水の在世当時は、影響力は大きく、王陽明と天下を二分したと評価された。しかし、彼の「随処体認天理」の実践哲学は、王陽明の良知心学ほどには、既成の価値観に対する破壊力をもたなかったため、新運を大きく開くことはできなかった。加えて、その門流に傑物を輩出しながらも、思想内容としては、良知心学の背理可能性を危惧(きぐ)するあまり、心学に踏みとどまりながらも、朱子学に極度に接近し、学派としての独自性を失っていった。主著に『心性図説』『遵道録』がある。
[田公平 2016年2月17日]
『岡田武彦著『王陽明と明末の儒学』(1970・明徳出版社)』▽『荒木見悟著『明代思想研究』(1972・創文社)』